植田和男日銀新総裁が30年前に示した「岩田・翁論争」への裁定

過去に論じられたことの当否を、その後の推移を知る人間が評するのは、あたかも神の視点のようでアンフェアかもしれない。とはいえ、およそ論を張る人間は、常に後世の評価にさらされている。

今からさかのぼること30年前の1992年、『週刊東洋経済』の誌上で、日本銀行の金融政策をめぐって議論の応酬が繰り広げられた。翁=岩田論争と呼ばれる。日本はバブル崩壊後、景気後退局面にあった。

論争の流れを振り返ってみる。

「『日銀理論』を放棄せよ」と題して切り込んだのは岩田規久男・上智大学教授(当時)。日銀は、マネタリーベース(当時の用語でベースマネー、日銀が供給するお金。銀行券と硬貨、準備預金の合計)を増やすべきだと論じた。

そのことによって、マネーストック(世の中に出回っているお金の総量。当時の用語でマネーサプライ。金融部門の貸し出しを通じて生み出される預金通貨と金融機関以外の民間が保有する現金の合計)の増加率を高めるべきだと求めたのだ。

「日銀は、金利(当時の政策金利は公定歩合=日銀が民間銀行に貸し出す際の基準金利)を下げて金融緩和したといい、ベースマネーはコントロールできないというが、この『日銀理論』は放棄すべき」と断じた。

これに対し、日銀側から翁邦雄・日本銀行調査統計局企画調査課長(当時)が反論した。日銀は短期金利を目標の数値幅に誘導するために、マネタリーベースを供給していると説明した。

この背景には、銀行が、無利子の準備預金を最低限に抑えようと行動することがある。準備預金とは、金融システムの安定のため、日銀に預金の一定率を預けるよう義務付けられているものだ。銀行の預金が増えれば、つまり銀行貸出が増えれば、準備預金も増える。日銀は銀行の行動、すなわち世の中の資金需要に合わせてマネタリーベースを供給しているというわけだ。

この30年間の帰結をふまえれば、現実は双方の論にそぐわなかった。

2013年以降、岩田氏自身が副総裁として担った異次元金融緩和によって、日銀はマネタリーベースを643兆円と10年間で4倍以上に増やした。目的とするマネーサプライの増加率はほとんど伸びていない。日銀がいくらお金を供給しても、貸し出し需要が伴わなければ、世の中に出回るお金は増えないのだ。

岩田氏の指摘したように「日銀がマネタリーベースをコントロールする」ことは可能ではあった。短期金利が1995年にゼロ近くまで下がって以降は、銀行が法定準備を超えた無利子の準備預金を保有することが非合理ではなくなったからだ。

この帰結を見通していたのは、「『岩田・翁論争』を裁定する」と題した植田和男・東京大学経済学部助教授(当時)の寄稿だった。「(短期金利を大幅に低下するのに必要な量を上回るマネタリーベースの供給が)実体経済を強く刺激するという根拠も乏しい」と論じていた。

植田新総裁、30年前に示した岩田・翁論争への見解

植田氏は1998〜2005年まで日銀審議委員を務め、ゼロ金利下で金融緩和の効果を及ぼす策を練った。そして2023年、日銀総裁候補として国会に提示された。