ランナーの話:「コディパパ」後編
申し込みデッドラインギリギリでガンゼットマラソン出場資格を得たコディパパだが、結果は3時間42分5秒で終わった。爆弾だった膝が悲鳴を上げたのだ。
それでも、コディパパは走り続けた。毎週末、何かしらのレースに出走。その中に、その頃、少しづつブームになりつつあったウルトラトレイルレースも含まれた。何も知らないロードランナーが、無謀にも、いきなり、ベアマウンテン50マイルに挑戦、完走。その後、その勢いのまま、ワシントンDC50マイル、そして、遂には、モヒカン100マイルも完走した。ほぼ、ラストランナーだったが、一緒に挑戦したラン友の中で、唯一の完走者になった。
一方、ロードマラソンは、転落の一途を辿った。5月末のオタワマラソンでは、遂に、また4時間切りが出来なくなった。スタートして5キロで、恐ろしく脚が重たく感じたそうだ。
ロードかウルトラトレイルか?
血液型B型のコディパパは、悩む事なく、自分の本能通り進む。気づくと、ウルトラトレイルに夢中になっていた。数々のビッグネームのトレイルレースにも出た。だけど、思う様な結果が残せないこともあっただろう。
甲状腺の病気になったり、結構、高所恐怖症で、高山病になりやすい体質なのもあるだろう。だが、一番大きいのは、彼に、守るものが出来たからなのではないかと思う。相方、そして、愛犬たち。
「今日は走りに行かないの?」
「コーディが、一緒にいたいって言うんだよ。」
よく、練習をサボる理由にシニア犬のコーディを使っていた。だけど、コーディもそれが嬉しかったはずだ。一緒にいる時間が幸せだったから。
家に戻るまでがレース。
好きなレースに出れば良い。ただし、無事に戻ってくると約束してね。
相方から言われている言葉。反対されるより、なんだか厳しい縛り。
コディパパのスタイルは、いつしか、Life for RUN(走るための人生)からRun for Happy Life(幸せな人生のために走る)に変化した。
走ることは変わらず好きだ。レースに出ることも大好きだ。
だから、また、コディパパは、新しいシューズをオーダーする。
(おわり)