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正しい道かどうかなんて、振り返った時にしか分からない。

自分で進むべき道の決定権を持ったのはいつぐらいからだろう?

まぁ、幼稚園でどの子と仲良くなりたい、とか、中学校でどの部活に入ろうとかも、自分の意志(意思)が関わってくるけど、それは、歩いている道の途中で、何を食べようかな?何を飲もうかな?ぐらいの選択だろう。

生まれてから、義務教育までは、ほぼ親が決めた道だろう。
そうなると、高校という受験が関わるあたりから、自分で決めた道を進むことになるのだろうか?
うーむ、それでもまだ、親の庇護の元で生きている時点で、自分で決めて、自分で責任を取って、進んでいる感じはしないなぁ。

と、なると、社会人になる時、つまり、自立するとなった時が、”自分の道は自分で決める”となるのかもしれない。

私もそれこそ、それぐらいから親の意思や希望を無視して、自分の生きる道をバシバシ決めてきた。
その時は、自分なりに悩みながら、選んできた道だけど、果たして、その道が本当に正しかったなんて、実は今でも分からない。ただ、分かるのは、その時は、間違いなく、”これが私が選ぶ道だ”と信じたのは確かだ。

だが、”あちゃー、なんでこっち選んじゃったんだろう?”、”あの時、こうしておけば”と後悔しまくりも何度もある。もちろん、それこそ、後悔先に立たずだし、覆水盆に還らずで、時間は戻らない。

そう、時間は戻らない。勝手に先に進み、私のこともどんどん未来へと連れて行く。

そうすると、あら不思議。あんなに後悔したはずの出来事、間違った選択、もしくは、失敗、挫折が、”あの過去があったからこそ、今がある。つまり、あの選択は間違っていなかったのだ。”なーんて、過去に出した結果がひっくり返ったりすることも結構ある。
この現象は、ある程度、歳を取らないと分からないはず。長期展望の逆版だから。

私は、この現象を知ってから、一々、クヨクヨしなくなった。
人生は長い目で見ないと分からない。
それが正しいことなのか、間違ったことなのか、時代と共に価値観も変化し、自分も変化し、周りも変化する。

ただ、最後の最後に振り返った時、ああ、この道で良かった、と思いたい。













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