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遠くに住む家族に電話をする日

12年前の2011年3月11日、NY時間早朝6時過ぎ、ラン友から電話がきた。

「黒リス(私のこと)の実家の方、地震で大変なことになっているよ。直ぐに電話して。」

寝ぼけた頭でラン友の言葉を何とか理解したけど、心のどこかで、”大したことないだろう。”と思っていた。宮城県は、過去、宮城県沖地震もあり、震度4、5程度の地震にはある面、慣れっこになっていたからだ。

実家に電話をかける。繋がらない。

兄の携帯も母の携帯も繋がらない。

NY時間午前7時になり、日本のニュースが始まり、漸くここで、地元宮城県石巻が大変なことになていると、まざまざと実感する。

それでも、なぜか私は冷静で、”今は回線がパンクしているのだろう。その内、電話も繋がるだろう。”と根拠のない確信を持っていた。きっと、うちの家族は、サバイバル精神あるから、大丈夫だろうとタカをくくっていたのだ。

でも、全く、電話が繋がらないまま、10日間が過ぎた。

私の地元石巻は、東北大震災で一番死者数が出た地域で、実家は北上川の畔にある。ニュースで何度も繰り返される津波が町を飲み込むシーンを見ているうちに、絶対生きていると信じる気持ちが揺らいでいった。

だから、10日後に、携帯の充電が漸く出来た(確か、市庁舎かどこかでで充電したらしい)母と電話で話せた時、全身が脱力する程、安心した。

今、お互い、生きているから会話が出来る。

メールもLINEも便利だけど、今日ぐらいは電話でお互いの声を聞こう。
きっと、また、喧嘩するけれど。





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