同じ月を見ている。
愛犬コーディが旅立った。
先週の2月27日午後4時41分。今、この文章を書き始めているのは、3月6日午後4時半過ぎだから、先週なら、今、コーディは生きていて、その10分後には生きていない状態に変化したことになる。
その差は何だろう?息をしていないこと?心臓が動いていないこと?
良く分からない。ただ、分かるのは、うちの部屋が綺麗過ぎるし、静か過ぎること。非常に淋しい。
今回、コーディを失い、改めて、動物のすごさを知った。
先住犬ミルキーの時も、もしやと思っていたけど、彼らは、実は私たち人間の会話や心のつぶやきを感じ取り、理解しているのは間違いない。そして、彼らは、自分たちの方法で私たちにメッセージを送っている。
去年の11月半ば、私は、ふと思い立ち、願掛けをした。
”来年2月25日のコーディの誕生日まで、どうかコーディを生かして下さい。それまでお酒は一滴も飲みません。”と。
その頃、コーディは下痢が続き、一気に体重が減ってしまい、獣医さんに診てもらっていた。処方された薬を飲ませ、アドバイスされたご飯をずっと付き添って食べさせ、回復を願った。若返ることはなくても、加速したスピードを止めたかった。
だけど、下痢は止まったものの、体調が安定している時間は徐々に短くなり、日に日に、筋力は衰え、そのうち、自分で立ち上がることも難しくなり、手足をバタバタさせるコーディを、抱き起こし、立たせてあげた。そのうち、立たせても、よろめき、すぐに倒れるようになった。だけど、コーディは、自分で最後まで立ち、歩きたがった。
何度か、上げているご飯が喉を通らなくなった時、「もう、コーディ、無理しなくていいよ。私の願掛けなんて、無視していいよ。コーディが、苦しいのが一番嫌なことだから。だから、コーディが逝きたい時に逝っていいんだからね。」と、何度も伝えた。
だけど、その度にコーディが私を見て言うのだ。
”ううん、ママちゃん、僕がいたいんだよ。だって、ここは心地が良いんだもん。だから、もう少しいたいんだよ。”と。
これは私の妄想や思い込みかもしれない。でも、私にはそう聞こえたのだ。そして、私は気づいていた。きっと、コーディは、2月25日の自分の誕生日まで頑張ると決めていると。それは、私を喜ばす為、彼の最後の私へのプレゼントだから。
最後の1週間、抱っこすると、コーディのお尻は、骨しか感じられなくなった。それでも、抱っこして、散歩に連れて出た。家のおしっこシーツでするより、オムツでするより、コーディは、外で用を足すのが大好きだったから。
地面にそっと下ろす。そして、用を足している間、両手で支える。
その後、もう一度、抱っこして、アパートの周りを少し散歩する。散歩しながら、コーディに話しかける。
”ほら、鳥さん達が、コーディにおはようって言っているよ。”
”今日は、どんなお月様かなぁ。あ、今、雲に隠れたね。あ、ほら、また出てきたよ。”
コーディを見ると、同じように月を見上げていて、何とも言えない至福感に包まれる。
”ねぇ、コーディ、私たちは同じ月を見て、同じ風を感じ、同じ空気を吸って、そして、同じ今を生きているね。”
それは、すごく素晴らしい瞬間で、私が人生で本当にしたいことだった。血の繋がりどころか、赤の他人どころか、種を超えた一体感。これを幸福と言わずしてなんと言おう。
そんな時間をいくつも過ごし、だけど、遂にその時がやってきた。午前中、ずっと普通に息を吸って、吐いて、眠っているようにしか見えなかったコーディの身体がピクピクと動き始めた。ちょうど、空気を入れ替えようと、窓を開けた後の出来事だ。”鳥さんの声が聞こえる?”と話しかけた直後だ。
私と相方は、数日間、安楽死の選択を何度も話し合っていた。獣医さんからも、「肝不全の状態になると、毒素が身体にまわり、とても苦しいので、その時は眠らせてあげることも考えましょう。」と言われていた。実際、前日夜中に、そんな症状らしきものがあり、”ああ、もうこれ以上、苦しめてはいけない。”と思って、獣医さんにメッセージを入れた。だが、幸か不幸か、獣医さんのスケジュールの関係で、うちの来れるのが翌日の夕方過ぎとなったのだ。そしてまた、苦しそうだと思われる症状も、私が抱っこして、部屋をグルグル歩き回ると治ることが分かり、抱っこし、歩き回り、落ち着いたら、ベッドに寝かせ、また、手足をバタバタさせたら、抱っこし、歩き回る行為を何度も何度も朝方まで繰り返した。そして、相方にその作業を交代してもらった時には、コーディは、ずっとベッドで寝息を立てるようになった。それを見ていると、安楽死をしてもらうことに躊躇が生まれた。
この状態なら、コーディはこのまま自然に旅立つに違いない。きっと、コーディもそれを望んでいる。
いや、今は小康状態だけど、また、夜中に苦しがったら、、、。やはり、安楽死をしてもらった方がコーディにとって良いのでは?
二つの選択の間で、揺れに揺れた。
そして、私が感じ取ったコーディの答えは、
”どっちでも良いよ。”
だった。
”どっちみち、僕はまもなく逝くから、どっちでも良いんだよ。ママちゃんたちが良いと思ったことで良いんだよ。”
それでも、私たちは、迷い続けた。そして、そんな私たちの会話、葛藤をコーディは理解していた。
コーディは、獣医さんが来る2時間前に、自ら旅立って行った。
その日の月が、満月で、そして、スノームーン(Snow moon)と呼ばれる特別な月だと、翌日、友人からのメッセージで知った。
最近、視力が悪くなった私は、十三夜月ぐらいから全部満月に見えるから、月を見つけると、「コーディ、今日は満月だね。」と毎回、語りかけていた。だけど、コーディは、きっと月を見ながら、言ってたんだね。
「ううん、ママちゃん、まだ満月じゃないよ。」と。
*カバー写真は、今年に入ってから、何十年かぶりにセントラルパークに出没し、バードウォッチャー達を騒がしていたSnow owl(雪フクロウ)。このスノウムーンと一緒に撮影されたのを日を最後に、姿を消した。 撮影者:Francois Portmann
@fotoportmann
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?