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エッセイ:ぜんぶ

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愛犬の話、ニューヨークの話、ランニングの話などなど、その時々の気になったことをつらづらと書いています。
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#長距離ランナーの矜持

違う、だけど、一緒。それがランナー。

4月初めから、「ランナーの話」と称して、自分の身近なランナーを主人公に、10人のランナーの話を私、黒リス目線で書いてみた。 最初からこの人の話を書こうと決めていたわけでもなく(何人かの候補はいたけど)、この人を書いたら、次はこの人を書きたくなった。まるで、それはバトンリレーみたいにね。 自分は走り始めた時から、ずっと不思議に思っていた。 なんで、みんな、速い方が上で、遅い方が下って意識なの?と。 トップ何パーセントとか、入賞とか、それは確かにスゴい事かもしれないけど、

ランナーの話:「赤兎馬」後編

自然災害という誰も責められない障害に、張り詰めた糸が切れた。リズムを狂わせられた。それでも、何とか立て直そうとした。 翌年2013年4月の還暦ボストンは、3時間2分36秒。年代別3位。 輝かしい記録である。だが、赤兎馬さんの失意が想像出来た。 「自分の中で、サブスリーを取れる練習法というかメソッドがあったんですよ。これさえこなしたらサブスリーが取れたんです。今までは。」 ”今までは”、それで出来ていたことが出来なくなった。じゃぁ、もっと、今まで以上に練習しなければ、出

ランナーの話:「赤兎馬」中編

「いや〜、私もそろそろ普通のおじさんに戻りますよ。」 2011年の東北大震災がきっかけで、前より走る様になった私が、セントラルパークへ走りに行く度、赤兎馬さんが必ず走っていて、良くチャットランをご一緒してもらった。赤兎馬さんは、まるでセントラルパークの主みたいに、いつ行っても、セントラルパークの6マイル(約10キロ)のコースをジョグしており、誰かに出会うと、方向転換をして、その人のペースに合わせ、並走してくれるのだ。その際、色々なラン談義に花が咲くのだが、その頃ぐらいから、

ランナーの話:「赤兎馬」前編

赤兎馬(せきとば)とは、三国志に出てくる、呂布や関羽の名馬である。気性荒々しく、勇猛で、且つ、脱兎の如くすばしこく、戦場での働きは凄まじい。 ニューヨークにもそんな馬がいる。ここでは、その方を赤兎馬さんと呼ばせて頂く。彼は、ニューヨーク・日本人ランニング界のレジェンドである。 赤兎馬さんは、見かけは、そんな荒々しい、オラオラ系の真逆で、サービス業をされていることもあり、非常に腰が低く、会話も機知に富み、自分より若い世代にも対してもそれは変わらず、それどころか、ランニングを

ランナーの話:「OKちゃん」中編

変わった理由は簡単だ。膝を故障したのだ。 もちろん、ランナーに故障はつきものと言えばそうだけど、その度合いにもよる。上手に付き合いながら、走り続けられるケースもあれば、もしかしたら、一生走ることが無理になるケースもある。頭の良いOKちゃんだから、当然、自分が今、どんな状態なのか、客観視できていただろう。だから、少しの間、いつものルーティーンから外れることにしたようだ。 走ることに依存しているランナー程、故障時はストレスが溜まる。 自分が休んでいる間、どんどん体力、走力が

ランナーの話:「OKちゃん」後編

ベルリンマラソンは、6大ワールドメジャーマラソンとして有名だ。だが、このベルリンマラソンに、ローラーブレードレース部門があるって、知ってました? もちろん、私、黒リスは知らなかった。 OKちゃんが出るまでは。 そう、OKちゃんは、なんとこのインラインスケート(ローラーブレード)ベルリンマラソンに挑戦することに決め、黙々と練習を重ね、本当にレースに出た。そして、見事、完走した。 実は、OKちゃんがこのレースに出るという話を聞いた時、相方とこっそり、Youtubeで、レー

ランナーの話:「OKちゃん」前編

マラソンは年2回、ボストンとニューヨークで勝負します。 私がOKちゃんの存在を知った2009年当時、OKちゃんはジョグノートの自分の紹介欄に、こんな感じの言葉を書いていた。 そう、OKちゃんは、私からすると、正統派シリアスランナー。練習も、勝負レースに向けて、理に適ったメニューがあり、それを着実にこなす。何年もニューヨークのレーシングチームに所属し、練習会もサボらず、そして、レースでも、淡々と結果を出す。もちろん、サブスリーランナー。それも走り始めて、最短でサブスリーを取

ランナーの話「疾風女史」後編

それは、2013年のNYCマラソン。疾風女史にとっては、2010年のサブスリーを取って以来のマラソンだったかと思う。 ニューヨークのエリートランナーが集まるランニングチーム所属の彼女は、ローカルエリート枠として、先頭のコラールスタートだ。一方、私は一般枠だが、それでも、結構、先頭のコラールスタートであった。スタート時間は、同じ午前9時40分。ただ、疾風女史は下の橋からスタート、私は上の橋からのスタートで、全く、お互い、出走していることさえ知らなかった。 その頃の私は、マラ

ランナーの話:「疾風女史」中編

「今の自分のベストタイムを出したいんだよね。」 疾風女史と、二人で話す機会があった。疾風女史の娘さんと私の相方が、ブロンクス・バンコートランドパーク開催の5キロクロスカントリーレースに出走し、偶々、私たちは両方応援で来ていたのだ。スタートを見送り、だだっ広い芝生の上、大きな青空の下で、立ち話を始めた。話すことは当たり前の様に、走ることばかり。 私より年齢が上の疾風女史は、走りのレベルは違うにせよ、未来の自分である。ただ、数年前から走り始めた自分は、まだ、タイムが進化中。だ

ランナーの話:「疾風女史」前編

ずっと、自分の周りのランナーの話を書いてみたいと思っていた。 色んな生き方があるように、色んな走り方がある。自分の周りのランナー達から受けた影響、学び、そして、感動。そんな記憶を留めておきたいと思う。第一回目は、「疾風女史」。 🌬疾風女史の存在を知ったのは、私が走り始めて2年ほど経った頃だったと思う。 人生初マラソンで、NYCマラソンを3時間48分24秒で完走し、ボストンクォリファイも取った自分を、先輩ランナー達が大いに褒め称えてくれ、”え、もしかして、私って、結構、