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幸せの価値観

人はなぜ生きるのか?
高校生の頃、必死に考えても答えが出せなかった問いです。

山の頂上を見上げながら「なぜ山に登るのか?」と考えてもしょうがない・・・

頂上にたどり着いた者にしか見えない風景があり、出せない答えがあるに違いないと思って頑張ってきました。

今を頂上に近づいたとみるか、まだまだ先があるとみるか・・・
もちろん、まだまだ頂上は見えてない気がします。

ただ、自分が歩いてきた道には、確かな足跡が出来たという実感が持てるようになったことは事実です。

この先は焦らずじ、ゆっくりと歩み続けていく
今自分が見ている風景を大事にしながら・・・

コロナに翻弄される日々ですが、だからこそ見つめ直せる風景があると思いました。

そして、今日も専門学校の授業7コマ、そして夏期講習と相変わらずの日々に変わりありません。


2014年7月28日より
人間ドッグの日に、改めて思う事~「自分の居場所」

一年に一度の人間ドッグに行って来ました。

昨日の夜8時から、何も飲めず、何も食べられません・・・これが何より辛いんです(笑)
普段、何気なく生活している事を、急に禁止されるというのは、なかなか辛いものですね(精神的にも)

僕の場合は、昔を思い出してしまうという事があるのかもしれません・・・
自分でアルバイトをして大学の学費を生活費をと、必至だったあの頃を・・・

150円の学食のラーメンを食べるかどうか、悩んでやめたこともたくさんありました。交通費がないときは、バスに乗らずに歩いた事もありました。大学の教科書が買えなかった事もあったと思います。

隣のサラリーマンが、「てんてんたまたまそば」を食べているのを、かけそばを食べながら、きっとこいつを追い越してやると思ったあの頃も、なんだか懐かしい想い出ですね。

とにかく、お腹いっぱい食べるという小さな願いをずっと持ち続けながら、会社を始めたように覚えてます。もちろん、会社が大きくなって、1週間に4日、焼き肉食べ放題に行った事もありましたが(笑)

最近は、そんなに食べられなくなってしまいました。
年齢には、勝てません(笑)
人間ドッグが来ると、また1年が経ったんだなぁと実感します。昨年やっと、辛い1日が終わったと思ったのに、1年は本当にあっという間ですね。(年をとると、それが本当に早く感じます)

今日も、待合室で、みんな同じカッコ(これが何とも言えない光景なんですが・・・笑)で、看護婦さんやスタッフの人の言うとおりに、移動しながら検査を受けています。みんな、仕事を休んで、昨日から何も食べずに来てるんだなぁと思いました。

そして、ふと、人はなぜ生きるんだろう・・・?
幸せになるという事は、どういう事なんだろう・・・?
ぼっーとしながら考えていました。

もちろん人それぞれに考え方が違い、また価値観も違うわけで
一概にこういう答えはないと思います。
人生の最終的な目標って何だろう?

もしかすると、本当に平凡な日々なのではないでしょうか?

どんなお金もちになっても、誰からも相手にされなかったら、それはきっと不幸な人生だと思います。 もちろんお金で人の気持ちを買おうとしても、不可能な事であり、最後にこんな惨めな人生はないと思うのではないでしょうか?

逆に、どんなに貧しくても、周りの人に感謝されている、必要とされている人生であれば、どうでしょう? 毎日が充実したものになるんではないでしょうか?

私は、教師という仕事をしながら、会社経営という立場にもいます。
そしてその数十年の時間の中で、数え切れない人に出会いました。
様々な人の人生に関わり、少なからず何か影響を与え、与えられてきたと思っています。

人は自分のために努力をします。
そして、人と競争をし、争い、傷つけあいます。

しかし、人は人を愛し,愛する人のために一生懸命になり、そして自分が愛されたいと願います。
人は、自分の一生をかけて自分の「居場所」を探しているのではと思うようになりました。 「居場所」を実感するには、そこに自分を必要としてくれる人が必要だと思います。 学校であれ、会社であれ、家庭であれ・・・

この「居場所」を実感する事が、人生の生きる目的を探す事になるのではないでしょうか?

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