見出し画像

自分の中にでっかい魅力的な魚がいる時、すぐに釣り上げたい。

LINEの文章、メールの文章、NOTEの文章、上手くなりたい。

魅力的な文章を読むとウットリしてしまう。
自分の文章を読むと、説明が下手というか「この人バカなんじゃないの?」と思ってしまうことがある。そして言葉にした途端「う〜ん。まどろっこしい!」となるので、説明しなくてもいい絵とか音楽に委ねている時がある。(説明する必要がある時もあるかもしれないけど)

言葉、言葉、うまく伝えたい。コミュニケーションの一つ。人と話してる最中、いつも謎のボケとか、全く話の本筋でないところが爆発してくる。その思考をその先へ回転させようとする自分がいるもんだから、主題から遠のいてしまうことがある。多分、話してる人は「え、、えっと何言ってるんですか」となる。多分、自分の中で「どうでもいい」と思っていることは話題にするのが苦手というか、興味がないんだろう。説明も心から思ってないとできない。そして別のことを考えちゃっている自分もいる。でも「あ〜この感じがうまく表現できたらいいな〜」頭の中で駆け巡る感覚。納得するためには、何度も見直して書き直すしかない。そして思考を整理したい。

結論とか正解じゃなくて方法論をためていく

頭の中は大体ゴチャゴチャしている。時間がなくて整理できていない部分もあるが、アイデアが山のように転がっている。ゴミみたいになっているのもある。忘れられているのもある。常に自分の中に、変な角度から提案をしてくるヤツが何人かいる。反対意見だったり「そうじゃないんじゃない?」って文句を言う自分もいて、ゴチャゴチャ、小賢しい。

Aを主張する奴もいれば全く逆のBを主張する奴もいて、自分の中で整合性も取れてない時もある。だけど、心地よいと自分もいる。両方わかる時もある。たまに結論を急いでしまって、一方に触れてしまう時、そんな時は、全く思慮に欠けた感じになり、魅力を感じられない自分が生まれてしまう。「もう少し考えた方がいいんじゃないの?」と思って、一旦その議題についてのマトメみたいなのは中断される。そういったコマゴマとした葛藤が何個かある。

「こうなんだ!」と決定事項みたいな答えのようなもの書いてしまったとしてもすぐに生まれる自分の中からの反対意見。「やっぱり、そうとも限らないよね」となる。「なんか違うな〜」となるので自分の中で寝かしたり多方面からつつかないと思考として幼い気がする。

そして一方に触れた場所から綴ることばよりも、何かを必死に探している時の言葉というか態度の方が自分でも読んでいてしっくりする。このしっくり感を常に持っておきたいからか、何も求めていない時はロクなもんじゃないと自分を遠くから見るようにしている。自分自身で必死に泳いでいるときのことばの方が面白い。

「何なんだ、この価値観、どうすればいいんだ〜。俺もわかんないから、解明しようとしてるんだ。それを文章で整理してる〜」ともがいている。先が読めることばやら、物語は退屈だ。

それは、自分のワケがわからないまま、のらりくらりあっちへいったりこっちへいったりしたいからかもしれない。永遠に結論は出ない、出さないという感じだろうか。その場その場で、対人で変えていく。そっちの方が良い。良いと思っている。結論とか、こうしたらいいってのは常に求めるけど、何か自分の中で方法論は溜まっていっている気がする。


とにかくごちゃごちゃを整理したい欲求

大切なことは、自分の内にある「この形をどうにか表したくて出現させたい!」というものだけである。そして「これなんだろう?」という気持ちを永遠に整理したい。自分の中から膨大に出てくる「あ〜でもない、こ〜でもない」を整理して、ある時は文章だったり、絵だったり、歌だったりしながら清書してあげる。

噴出しているものを取り出す技術

ついでに、瞬間的に見つけたこと、それによって思ったことを鮮度のあるまま形にしたい。一瞬で真空パックにするように。その生っぽい感覚を瞬間瞬間で写真撮るように作り出したい。

スッと取り出したいけど、説明が苦手で下手なのでうまくなりたい。思ったことを取り出せたらいいだろうな〜。誰かと会話できるだろうな〜と思う。そうすればもう少し紐解けてコミュニケーションできる気がする。届かない思いは、会話できないのである。

謎の気持ちにも注意深く旗を立てておく

素晴らしいライブとか展覧会を見た後は、興奮しているのか今までくっついてなかった思考が「これでいいんだ!」と思うことがある。自分の中で、ゴチャゴチャしていたものが急に「アイガット!(わかった)」となる時がある。その時のために、自分の中で謎の気持ちに旗立てているのかもしれない。いつかわかる時があるかもしれないから。

それを気づかせてくれるのは、何かを表現している人だったり、友人だったり。よく知らない人の作品でも「おお!これは私が問題としていることをうまく切り取っている」と思うことがある。そういう人が地球上に少なからずいるし、才能がキラキラしているのはずっと見ていたい。

自分の思っていることを魔法使いみたいに取り出すためにはある程度訓練が必要だと思っている。技術というか。

うまく喋れる人、うまく書ける人、うまく取り出せる人に憧れているというところもある。憧れているというか救われているというか。「そう!そう!そうなんだよね〜!」と。

自分の中にでっかい魅力的な魚がいる時には、釣り上げたい。釣りあげておきたい。それをしているときは、生きてるな〜と感じる。
いない時は、釣り上げてもしょうがないものです。

余談ですが、清野さんのツイッター(X)に「そうそう!そうなんだよね〜」というまさに「この感覚だ」という投稿がありましたので、載せさせていただきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?