回避性パーソナリティ障害か、ただの情けない人間か

※普段文章を書かない人間の拙い日記です。ご了承ください。

2ヶ月前、初めて精神科に行った

何もかもが苦しかった。

毎朝、野菜コンテナみたいに人の詰まった電車に揺られながら登校するのも、課題と資格試験と就活に追われるのも、そんな苦楽を共にできる友達がいない自分の境遇も、何もかも...

でも、それでも何とか生きていけてたのは、自分は何かしらの心の病気があるから、と思うことで、心の安寧を保てていたからだと思う。
そんな防衛機制的な考えで、自分を守っていた。

最近はそれでも覆い尽くせないくらい、苦しさが増してきた。
日曜日は絶対に眠れない。
毎朝ぐるぐると同じ思考を繰り返して、救いの道を探している。
頭がそればっかりに支配されて、脳のリソースが割かれて、他のことを考えられなくなったり、現状を解決する以外のことに興味が持てなくなった。
死ねば楽になるんじゃないかとも考えた。
そして、こんな状況の自分が何よりも嫌いだった。

全て自分のせい?

精神科を予約するのも大変だったけど、なんとか予約が取れて、上記のことを診察で話した。

自分が精神科を受けるに至った最終的な理由は、もう自分ではどうすることもできない、と思ったから。
救いを求めていた。
自分の弱さを曝け出して、認めてもらって、そして救ってもらえたなら、それほど嬉しいことはないだろう、と夢見ていた。

しかし、現実はそうじゃなかった。

そこで言われたことは、「甘え」だということだった。

「毎朝満員電車に揺られるのだって、課題や就活に終われるのだって、みんな同じじゃないか。」
「でも、君が他の人と違うのは、友達がいないことだよね。」
「友達がいたら、辛い学校に行くことにだって価値を見出せたり、この苦しみを一緒に乗り越えることだってできたはずなのに、どうして、友達を作ろうとしなかった?」

頭の中が真っ白になった。

最初は突拍子もないことを言われて混乱したが、自分の考えを整理してみると、確かに思い当たる節しかなかった。
友達がいれば、違っていたのかなと思うことなんて、何度もあった。
でも、それでも自分は、友達を作ろうとしなかった。
友達が欲しくないわけじゃない。むしろ、欲しくてたまらなかった。
できるなら、そうしていたはずだ。
小学、中学の頃は自分にも友達がいて、何不自由なく生きられていたのに。
なぜだろう…

思い当たる理由

1人が好きだから?
確かに1人は好きだ。
自分は昔から他人には理解されない趣味がたくさんあって、それにどっぷり浸かれるのは1人の時だけだった。
昔は、他人に理解されない趣味があっても、他の人とは違うところで繋がれていたから、それでよかった。

でも、いつからか、自分の趣味も理解して欲しいなんて思うようになってしまった。
自分の趣味をカミングアウトした時、誰にも理解されなくて、バカにされて、周りとの隔たりを感じたのを覚えている。
思えばその辺りから、新しく友達が作れなくなっていた気がする。
人との関わりが減っていって、自分はいつのまにかコミュ障になっていた。
そして、周りの人間関係が全部消えた高校では、もうすでに友達がいなくなっていた。

それと、自分は絶望的なまでに自分が嫌いだ。
理由はあらかた予想がついている。
それは、小学校の頃の合唱団を筆頭に、失敗の連続だったからだと思う。
失敗するたびに、先生には怒鳴られるほど怒られていた。
大勢の人の目の前で怒られるたびに、自分が嫌いになって、他人が嫌いになって、もう二度とこの場所にいたくないし、失敗したくないとも思った。
そして合唱団を卒団した後は、習い事や部活などといった活動から身を遠ざけていた。アルバイトすらしたことがない。

失敗や、叱責、嘲笑の目に晒されるのが怖くて、社会的な活動もしようとしないし、できる保証も、理解される保証も、自分を好いてくれる保証もないから、友達も作らない。

理解されないと思っているから、堂々と自分のことを話せないし、他人が怖いから、相手の視線や言動ひとつひとつが針みたいに突き刺さって、それがヤマアラシのジレンマのように、相手に近づけなくさせている。

だから、たぶん、僕は友達を作ろうとしなかった。

でも、こんなのはただの言い訳でしかないのかな。

何かのせいにしたい自分

先生はもちろん、僕のことが何もわからないわけだから、僕の話したことからしか、僕を判断できない。
言葉の裏にある理由なんて、読めないし、わからない。
自分ですらよくわかっていない。

だけど、先生の言ったことはなぜだか痛いほど胸に突き刺さる。

一度逃げたら、その後はずっと逃げ続けないと自分を保てなくなる。
辛くても、立ち向かわなければいけなかったのか?

どう立ち回れば自分を変えられた?どうすればこの状況を回避できた?これからどうすればいい?

わからない...

僕は自分の情けなさに思わず涙を流してしまって、その後の先生の言うことに耳を傾けていた。

そして、結局自分は何の病名も診断されずに、診察が終わった。

もともと、自分ではどうにもならないと思って、助けを求めに精神科に来た。
でもそこで待っていたのは、救済の道なんかじゃなくて、自分でどうにかしなきゃいけないという現実だった。

それでもなお、自分が行動できないのは、怖いからだけじゃなくて、全部自分のせいだとかすら認めきれないぐらい、どうしようもない人間だからだと思う。

再診の予約もしていたが、また人と関わるのが怖くなってキャンセルしてしまった。
自分はまた何も学ばないで対人関係から逃げてしまったと、後悔した。

回避性パーソナリティ障害か、ただの情けない人間か

その後、自分のように、人との関わりを極端に避けることが特徴的な心の病を、回避性パーソナリティ障害ということを知った。

自分が回避性パーソナリティ障害か、はたまたただの情けない人間なのかはわからない。

もう一度診察に行っても、同じ結末を迎えるだけかもしれないし、そもそも病気のせいにして自分で解決しようとしない自分の考え方に問題があるのだから、きっと意味がない。

自分で変わらなければいけない。

今はまだ、他人と向き合うのは難しい。

でも、今この時間を無駄にしたくないから、逃げかもしれないけれど、今自分にできることからしていこうと思った。

今後

たった一回で終わってしまった、今日の日記を再開させる。

今日一日で、文章に書き起こしたいと思ったことを、気持ちの理解と整理のために、自分のことでも、趣味のことでも何でもいいから書く。運動と、睡眠の記録も同時に載せていきたい。

その前に、一週間前からやろうと思っていたのにできてない、部屋の片付けから先にやらないとね。

もし、興味があれば、そちらの方も見ていただければ幸いです。
ここまで見てくださって、どうもありがとうございました。

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