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生涯にわたる苦悩


あいさつ

みなさんこんにちは!
最近友達とカラオケに行ったらあまりにも自分の歌が下手すぎて絶望しているくろのとりです。(その2日後人生初一人カラオケに行ってきました笑)

これからもカラオケに誘われるかもしれないので練習しないといけません泣せめて3曲くらいは歌えるように夏休み中に頑張ります!!
(こうしてまた新しい目標ができましたとさ…)

今回の記事では僕が生まれた時から悩み続けていることについて赤裸々につらつらと書いていこうと思います。

悩まない日なんてない!

さて早速ですがこの記事を見てくださってるみなさんは悩みはありますか?

多分ないと答える人はいないでしょう。それだけ僕たちは毎日悩みと戦う日々を送っていますし1個悩みを解決したら次の悩みが回転ずしのように訪れるそんな社会です。

それにすぐ解決できる悩みだったらいいけど時には自分が相当頑張らないといけなかったり、自分だけではどうにもならなかったり、どれだけ避けようと逃げようとしても付きまとってくるストーカーみたいなやつもいるから厄介ですね。(変な書き方してるけどすべて当たり前のことを書いているだけです笑)

僕だって日々の授業や課題(こう見えて大学生です)もありますしサークル、バイト、将来のこと、更には恋の悩み(←これが一番厄介!)だってあります。

生まれた時から

さあ突然ですがこの記事を見てくださってるみなさんはこれまでの生涯にわたる悩みとかありますか?

どれくらいの人があると思ったのか今とても気になりますし、どんな悩みかも知りたいなって思います(ガチで)。

ちなみに僕はこの悩みがあるうちの一人です(じゃないとこんな記事書くわけねーだろ)

それが何かというと『吃音』というものです

吃音(きつおん)とは?

吃音を簡単にいうと話すという行動の中で起きるイップスみたいなものです。症状は人によって様々なのですが僕の場合は話そうとするときに言葉が詰まる(発声しようと思っても声が出ない)、声色が安定しない、「か、か、かき氷食べたい」みたいに同じ音を繰り返してしまう(←これだけは成長とともに治りました)といった感じです。

一応Wikipedia先生の言葉を借りてみると、
吃音(きつおん、: stuttering,stammering)とは、言葉が円滑に話せない、スムーズに言葉が出てこないこと。非流暢発話状態のひとつ」
だそうです。

よく吃音のほかにどもるといった表現もされており幼少期によく確認される症状だそうです。大体の吃音を患った幼児は小学生になるまでに治ると言われております。しかし大人になっても症状が継続し苦悩するケースも多々あります。

どんな苦悩を体験したの?

言葉がうまく話せないと様々な弊害が日常生活で起きます。
まず最初に困ったことが同世代の子たちにからかわれることです。本当にこれは多かったです。よくあるのがしゃべり方を誇張してマネされたり、「なんでそんなしゃべり方なん?」ってわざとらしく聞かれたりしたことでした。これはこの経験自体が辛かったというよりなんで自分がそうなのか自分でもわからないことが一番辛かったです。

そして学校生活でも悩みがつきませんでした。
それが号令です。そう『号令』です!
#急にどうした
授業のはじめと終わりのタイミングで日直が号令をするのはどこの学校でも共通の文化だと思いますが吃音にとっては憂鬱な日でしかありません。号令お願いしますと言われてもなかなか声は出ないし、そうしているとだんだん周りがざわついてきて余計にプレッシャーがかかって声が出ないの悪循環。今思い出しても号令はしたくないし授業開始と終了の時間がゆっくりと迫ってくるときのあの緊張感は二度と味わいたくないです笑

それに国語の時間の音読も嫌いでした。
音読を読む時って大体段落ごとか文ごとに読むと思うんですが吃音の僕はどこを読まないといけないのかクラスの中で一番敏感でした。実は吃音と言ってもスムーズに発音できる音とできない音があって(個人差があります)、読み始めの最初の文字が得意な音かどうか必ず確認してそうでないときは必死にイメトレしてどうやって読めばいいかなって色々試行錯誤してました。(体の動きをつけてみたり、発音をぼかしたり、文頭が漢字だったら読み方があってるかどうか不安な感じでゆっくり読んでみたり…)
でも最初に読む人になったときはどうしようもなかったです笑

他にも職員室に入るときや急に先生に当てられた時とかもう挙げだすときりがないです。

学校以外でも例えば飲食店に行ったときは言葉が詰まるのを嫌がって食べたいものを注文できなかったりします。それかタブレットで全部注文できる店しか行かなかったり食券を買うところに行くようになります。(食べるが好きなのでちょっと辛い泣)

あいさつや「失礼します」、「ありがとうございます」も時にはスムーズに言えなくなります。そのため自分が当たり前のこともできない失礼な奴って思われているんじゃないかってずっと考え込んでしまうこともありますし、言葉が詰まったら詰まったらで変な奴って思われそうで…

それに名前を呼ぶときも会話に参加するときも自分のしゃべり方が変なせいで周りが時を止めたかのようになることもあるのでだんだんそういうことをするのも躊躇するしかなくなってきます。

そうなると誰かとしゃべりたくても誰ともしゃべりたくないジレンマの中で生きなければならないのかとずっと問い続けたり、このまま失礼で変な奴を貫き通さないといけないのかと思うこともありました。

吃音でいること

正直にいうと吃音であることは社会的に不利だと僕は感じています。他の人に比べてマイナス思考になりやすいですし段々前に出たり積極的に何かをしようとしなくなることが多いです。

これだけを見たら吃音を言い訳にしてない?って思われるかもしれません。確かにそうだとも思います。しかし僕の場合大学生になった今でも変えようと努力を続けてもいまだに苦悩しているのでこればかりは言い訳させてほしいです。

あと僕の場合身近にこの悩みを聞いてもらえたり共感してもらえそうな人がいなかったので一人で抱え込んでしまっていました。(最近信頼している友達に思い切って相談してみました)
だってさいきなり「僕吃音やねん」ってカミングアウトされても相手はどうしたらいいかわからないと思うしそもそも吃音とは何かわからないことが大半なはずやからさあ…

ってな感じで生活を送るうえでメンタル的に結構参ってます。
特に新しい環境に身を置いたときはこのストレスがピークに達します。大学入学したときはひどかったです笑
特に僕は小中一貫校で育ち、その後内部進学のような制度で知り合いが60人くらい一緒に同じ高校に進学したので大学入学したときは小学校入学したとき以来の人間関係がリセットされた環境でした。

どう向き合うか

僕が吃音というものを知ったのは中学3年の時でした。とある日友達に「なんでそんな喋り方なん?」的なことをふと言われて家に帰ってから自分の話すときの特徴を検索窓に打ち込んで調べると読み方が分からない吃音という言葉に出会いました。(ちなみに彼には悪気はなかったのでこの時は特に傷ついていません)

この時以前から自分のしゃべり方は他のみんなと違うことは自覚していたのですがこの時初めて自分の話し方と向き合ったと思います。

とはいっても最近まで何が正解か全くわかりませんでした(今もこれが正解ってものはないんですけど)。

でも最近思ったのが
1.自分が吃音であることを当たり前だと考える(受け入れる)
2.人間関係を深めて自分をさらけ出す
3.完璧に話すことはあきらめる
          ⇩
気持ちに余裕が持てるように日々頑張ることが自分にとっては最適ということです。これに気づいてからだいぶマシにはなった気がします。

もしこの記事を読んでる吃音の方がいれば一度実践してほしいなと個人的に思います。ネットに載ってるようなよくわからない方法よりは良いと思いますし吃音だけでなくおのずと行動や人間性にも変化が出てくるかもしれません。

まとめ

こんな感じで今日は終わります。
もし周りに流暢に話せない人がいたらみなさんは「〇〇ですか?」みたいに何を言おうとしているのか聞いてあげてください。はい、いいえの形に直してくれるとこっちとしては非常にありがたかったりします。

それでは以上です。もしよかったら他の記事も読んでみてください。

さよなら~

追記
まさかやる気が継続しなくて書き始めて1週間くらい経過してました💦
実はネタはここ数日でたくさんできたのでまた書いていきたいなと思います。

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