農学部で歴史を研究すること-理系?文系?…よく分からん-

私は一応歴史学専攻である。「一応ってなんやねん」ってツッコミが飛んできそうだが、気分的には一応をつけたくなるのだ。

というのも所属が農学研究科なのだ。文学研究科ではない。高校は理系、学部も理系入試の農学部である。農学部って作物の品種改良とかしてるんじゃないの?というのが一般的な認識であろうが、農学部には農業経済という分野があり、さらにその中に農業史というものがあるのだ。

大学のカリキュラムも最初は他の農学部生同様自然科学系の講義が中心だ。しかし、学年が上がると経済学の勉強に切り替わる。そして最終的に漢字仮名交じり文を読んでいるんだから(これは私が江戸時代を研究してるせい)自分が何学部なのか分からなくなる。

アンケートとかで文系理系を聞かれるけどまぁ困るよね。実験やってるわけじゃないから理系ではないけれど途中まで自然科学の勉強してたわけだし、でも歴史の勉強をしっかり教わったわけでもなく見よう見まねでやってる部分多いし……。

よく文系はどうたら理系はこうたらって話あるけど、世の中そのその間ってのもあるんだぞ。

そんなわけで「一応」歴史学専攻と言ってしまうのだ。多分何本か論文書いて自信がつけばこの「一応」は取れるはず。

さて、まためんどくさいことに農業史ってのは幅が広い。そもそもちょっと前まで多くの国が農業を基盤としていたもんだから社会や国を論じることもできてしまう。とはいえ農学研究科にいる以上、農学の立場から歴史をみていきたい(この農学ってのもなかなか定義しにくいが)。

ここで、歴史を研究するという事についても少し話してみましょう。

歴史学って端的にいえば過去のことを明らかにする学問なんですが、困ったことに過去って変わるんですよ。

何を言ってるんだ、過去の事実が変わるわけないじゃないか、と思われるかもしれません。厳密にいうと事実は動かせなくても真実はいくつも描けるということです。

過去の出来事を全て知ることは当然できないため、今のところ判明してる史料からこの可能性が高いよねって真実(仮説)を語るしかできません。何か新しい史料が見つかってそれまで広く受け入れられてきた定説が覆るってこともありますよね。

また、時代によって同じ史料でも別の部分に着目されることがあります。

例として、私が研究してる会津農書の著者、佐瀬与次右衛門を取り上げてみましょう。

与次右衛門は肝煎という今でいう村長のような役職についており、他の農家に指導するために自身の研究をもとに会津農書を記しました。70-80年代頃は「科学的な視点を備えている」や「主体的な農民」として評価されていた与次右衛門ですが、太平洋戦争直後は悪き封建制の一端として批判的に描かれることもありました。というのも肝煎というのは自身も農民でありながら村の他の農民に年貢を納入させる立場にもあったのです。しかも地主でしたから、戦後の民主化や地主小作関係の解消の中で、古い日本の象徴としての封建制批判に巻き込まれました。その後、優秀な農家として評価が反転するのは、農業の姿が大きく変わる中湧き上がった、前近代へのノスタルジーが背景にあります。

これらは別に矛盾するものでもなくひとりの人間の中に両立する性質ですが、時代によって取り上げられる側面は変わるものです。

どうメスを入れるかは人それぞれ。これを読んでいるあなたも気軽に歴史を研究してみませんか?

ただし、歴史主義者のように史料を蔑ろにしないこと。

最後まで読んだくれてありがとうございます。次の投稿でお会いしましょう。

渡部

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