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最後の猫~49日

今日はあの子の49日
あの子がいない世界に7週間生きている
特に仏教を信仰しているわけではないが
あの子の葬儀を頼んだところでは
浄土真宗?と思われるお経をあげてもらったので
納骨の予定もないけれどなんとなく区切りのような日

区切りといったところで何も変わりはしない
相変わらずあの子がいないという事実に打ちのめされて
耐えがたくなる時間を過ごしている
表向きは普通に過ごしているようには見えるだろうけど

どうして私はお腹が空いて
どうして私はお菓子をおいしいと思って
どうして私はテレビを見て笑えるのか
世界には色がないままなのに

仕事が終わって
あるいは買い物をし終えて家に帰るときに
家に帰ってもあの子がいないことを思うと軽く吐き気がする
今でも後悔でいっぱいだ
どうしてあの子が重い病気になったりしないなんて
ゆっくり自分の側にいてくれるはずだなんて
甘い思いあがった勘違いをしていたのか

こんなろくでなしだから
神様は可愛いあの子を任せられなくて
あっさり連れていくことにしたんだろうか
先代猫の時もその前にいた子の時も
自分の馬鹿さ加減を嫌というほど知ったと思っていたのに
結局反省できてない
もうやっぱり猫と暮らしちゃいけないって正解だ

相棒猫はあの子と違って抱っこは拒否だし
ビビりすぎてもしも病気になってずっと投薬が必要になったら
ものすごく大変になるだろうから
ずっと元気でいてほしいけど
こればっかりはどうしようもない部分もあるから
出来ることは気を付けてあげたいけれど
なってしまったら
そしてまた腫瘍かもなんてことになったら…
起こってもいないことでおかしくなりそうになっている

時々涙が止まらなくなるのは
あの子がもういなくて撫でられないことが悲しいのか
いつか相棒猫も居なくなってしまったら
自分が生きていく理由がなくなることが悲しいのか
もうわからない
今はまだあの子に会いたいし
虹の橋とかがあるならそこで楽しく過ごしていてほしい
毎日激しい浮き沈みの気分の中で
それだけを願っている






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