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恥ずかしいと思わなければいい

先日乗った電車で急ブレーキ&急発進でコケた。
運転手さんの思いを妄想で表現すると「あれ?ここって停まる駅だっけ?(瞬間的にブレーキ)あ、違う!止まらない駅だ!(加速!)いややっぱり停まる駅だ!(強めのブレーキ!)」
と言う感じの動き。
右に左に揺さぶられる。
体幹には自信があるので耐えられると思って踏ん張っていたけれど、だめだった。左へ右へ。そのまま左に倒れ込んだ。

手すりやつり革につかまっていなかった自分の責任。
(結構混んでいて手すりやつり革から離れたところに立っていた。車両の真ん中らへんにもつり革はあるが背が低いので届かない。届いてもギリギリだったのでどこにもつかまらずに立っていた。)
完全に油断していた。

その日は寝不足で、更に母の入院の付添いをして(母は認知症のため病院でのサポートが必要。それがかなり大変。)一回実家に帰り、掃除・洗濯・夕飯作りをしてから自宅に向かっていたためヘトヘトになっていた。
更に大きなリュック(GREGORYのコンパス30)を背負っていた。(リュックの中にはMacBook Pro 16インチも入っておりかなり重かった)

寝不足+身も心も疲れてヘトヘト+重たいリュック。
そこに電車の急ブレーキである。
左に。耐えた。右に。耐えた。もう一回左に。耐えられるつもりが、片足でとんとんとんという感じに移動していき、何かにつまずいた。耐えられなかった。
体幹に自信のある私でもさすがに無理だった。コケた。

転んでいる最中に無我夢中で近くにいた男性の太ももをガシッとつかんでしまった…お兄さんごめんなさい。
転び終わったあと後ろにいた人のリュックにのしかかっていることに気がついた…こっちのお兄さんもごめんなさい。

周りの人の目線なんて見る余裕はなかったけれど。
きっと笑っていたんだろうな。

だってつり革にもつかまらず、スマホで必死にBBCの記事を読んでいたのだから。しかも英語で。(普段から移動の時はBBCやCNNでニュースを読むようにしている。会社員時代からの習慣。英語の勉強と海外の方がニュースが早かったりするので情報収集を兼ねて)
周りから見たら「両手でスマホをもって英語のニュース記事を読んでいる(完全に)油断しまくりの(しかも)変なヤツ」である。
そりゃ笑うよね。
「カッコつけて英語のニュースなんか読んでるからだよ(どうせ読めないくせに)」という心の声の幻聴まで聞こえてきそうである。

眠いし疲れていたので「もうどうでもいい」というのが本音だったけど、それなりに恥ずかしいなぁとは思っていたし、実はこっそり途中で車両を変えた。(姑息である)

電車を降りて家に帰るまでの道のりでその一連のいろいろな出来事を「恥ずかしい」と思い、その後しばらくコケてしまった自分にイライラした。
それとともに「私が転んだのは急ブレーキをかけた電車と混んでいる電車の中で床に大きな荷物を置いていたあの人のせいだ」などと他人のせいにする自分もいて、それにも更にイライラと嫌悪を感じた。

だけどよく考えたら、電車で通勤していた頃はこんなこと何度も経験したんだった。
自分がコケたことも数回はあるし、他人が転んだのも何度も見ている。
「電車でコケる」ってことは毎日通勤している人にとってはごく当たり前に起こりうる事象なんじゃないか?と考えることにしたのである。

「よくあること」だから誰も助けてくれなかったのでは?(コロナで気軽に他人に手を差し出せないという状況もある)
「よくあること」だから誰も私を見て笑ったりはしていないのでは?

そうだ!電車で誰かがこけてもコケた人に対して「かわいそう」とかクスクス笑うようなことをやめればいいんだと思った。(お前自身がやってるじゃないか!少なくとも会社員時代はクスクス笑うまではしなくても「ちゃんと体幹を鍛えてないからだよ」とひどいことを心のなかで言っていた記憶はある。)

電車の急ブレーキは本当によく起こる。
最近の電車は自動音声で事前に教えてくれる場合もあるけど、基本的には急にくる。
「通勤」というものから離れて6年くらい経っているせいかそんなことすっかり忘れていた。完全に油断していた。

だからこそ「急ブレーキでコケる」ことは日常的にあることだし恥ずかしいことではなく運が悪かった程度に考えればいい。

今日は運が悪かったなぁ。と思えばいい。
コケたことは事実だけど、どこも怪我しなかったし、何も壊れなかった。そう思えばラッキーなのかもしれない。

次は自分がコケても「運が悪かったなぁ」と思うようにしよう。
周りの人がコケたら手を差し伸べられるくらいになろう。(コロナを気にする人は嫌がるだろうけど)

考え方一つで自分を肯定してあげることはすごく大事だ。

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