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広がるお気持ち表明

おはよう、こんにちは、こんばんはkuroです。
今回は他人のブログを見て思いついたことを書こうと思います。
相も変わらずサムネは適当です。

それに書いていることで自分が引っ掛かったのは「大なり小なり自分が炎上の発端になるようなことをしてしまい得も言われぬ嫌な気分になってしまった」という内容でした。まあ、確かに自分だって軽い気持ちでやったことが滅茶苦茶に他人を傷付けてしまったら嫌になるし、事実そのようなことをしてしまって謝ったことはあります。だが、これは直接本人に対してして何かをやってしまった時の話であって自分のお気持ち表明が連鎖した炎上となるとちょっと話が違ってきます。自分は他人に対する意見を誰にでも見える場所に公開するときはちょっとした愚痴やチラシの裏レベルの戯言であってもそれなりの意志の強さを持ってやっています、それが否定的な意見であればなおさらです。その意見が負の方向であろうが正の方向であろうが連鎖して群衆となり自分、または他人がその影響に晒されて嫌な気分になったとしても絶対にそれが理由で自分はその意見を曲げようとは思わないし、発表しなければよかったとも言わないように心掛けています。何故なら、口であっても文字であっても1度発信した言葉は消えないと自分は考えているからです。ツイートを消そうが記事を消そうが言葉のナイフが誰かに刺さってさえいればその傷はナイフが消えても絶対に消えやしません。だから、炎上したからやだなって感情を持つくらいなら自分はその元となるお気持ち表明を投げないので炎上となると話が違ってくると言いました。

確かに、炎上とは怖いものです。その場の空気に乗っかって大して考えてない人たちからも大小さまざまな誹謗中傷がカジュアルに飛んできます。自分も2回位ちょっとだけツイートが伸びたりしてクソリプや批判が20個くらい飛んできたことがありますが、自分は楽しいと感じましたが大半の人間は恐怖や嫌悪感を示してしまうでしょうしもっと規模が大きかったら自分でも楽しいと思えるかわかりません。これを書くきっかけになった文章にはそいつが好きなとある作品から引用された「正義の為なら、人間は何処までも残酷になれるんだ」という台詞が書いてありました。自分も全く同じ意見ですし、「たとえ、他人を傷付けても自分の意見は曲げない」という自分のスタンスは一歩間違えればその「正義を掲げた残忍な行動」に繋がりかねないとも思っています。ですから、自分は正しいからこの意見を持っていると思うのではなく、自分が正しいかは知らんけどそうだと思うからその意見を持っていると思おうと意識している事を再確認しました。私も好きな作品から引用すれば「自分が『悪』だと気付いていないもっともドス黒い『悪』」にならない様に気を付けて文章を綴ろうね、そんな感じのお話でした。

最後に
お気持ち表明に影響を受けて次のお気持ち表明が連鎖的に広がる感じは人が人を動かすっていう素晴らしい現場を見る事が出来たという気分になれるし、様々な他人の意見が色濃く見れて自分の気色悪い趣味が死ぬほど捗るので実は嫌いじゃないです。まあ、あまりにも人を傷付ける気しかないお気持ち表明は流石に嫌だけどね。何事も程度の問題だよ。

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