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色眼鏡をかける人々

おはよう、こんにちは、こんばんはkuroです。
今回はこの前Twitterを眺めていて思ったことについてつらつらと綴っていこうと思います。相も変わらずサムネは適当です。

日本語には「色眼鏡」という言葉があります。サングラスなどの着色された眼鏡のことではなく、いまひとつが等倍になる特性でもなく「偏ったものの見方」「先入観にとらわれた物の見方」という意味の方です。人って案外感想をそのまま出力するのではなくその偏った見方に即した感想を投げてしまいがちであり、それは物事をフラットに評価する上では勿論邪魔だし、場合によっては何かを楽しむうえでもメタクソに邪魔だなと最近思いました。フラットに評価するなら先入観が邪魔ってのはそらそうよって感じだと思いますが、自分は後者の事を凄く憂いています。例えば、私が凄く楽しいものを摂取したとしましょう。本来であれば凄く楽しかったという感情が沸いてきて終わりです。しかし、事前にマイナスな色眼鏡をかけていると楽しかったけど心に何かが引っ掛かってしまい手放しに楽しかったと言えなくなってしまいます。実際テイルズオブベルセリアとかいうゲームをちょっとやった時にそれを感じました。ベルセリア自体は割と面白かったし遊んだ部分までの不満はそんなになかったのですが、そのゲームは以前出たテイルズオブゼスティリアという私が凄く悲しくなった作品の過去の話をゲームにした作品なんですね。結局(割と楽しいけどこれあれの過去の話なんやなあ)って気持ちが遊びながらグルグルしてゼスティリアを途中でやめてしまい未だにそれ以降遊んでいません。そんな感じでマイナスの先入観を持って何かを遊んでも大して楽しめなくなってしまうんじゃないか、それならそんなものを持っているコンテンツに触れない方が良いではないか。自分の中でそんな感じの考えが浮かび、同時に恐らくこの考えは間違ってないんだろうなとも感じています。だから、何かを摂取するときに自分はネガティブな色眼鏡を付けない様にしようと意識しています。

じゃあ、ポジティブな色眼鏡だけ付けてりゃいいんじゃないかという話なんじゃないかという考えが浮かびそれについて思慮を巡らせた結果、自分が楽しむだけならばそれでいいが他人に勧めるのならそれではいけないという結論になりました。自分は結構他人に自分の好きなコンテンツを勧めるのですが、それで人にそのコンテンツの好きな場所を伝えるときにポジティブな色眼鏡をかけた意見ばかり言っていても相手と自分にズレが生じかねません。そして、ズレが生じると相手にそのコンテンツを触れて貰えない確率が上がっちゃうんでそれも良くありません。だから、自分が楽しむときはポジティブな色眼鏡をかけて誰かに伝えるときは色眼鏡をかけずに行こうと思います。ネガティブな色眼鏡に関してはかけなくて済むのであればそれでいいのでなるべくかけないことを意識して生きていきたいですね。まあ、ネガティブな先入観って一度根付くと中々払拭できるものではなくそんな簡単な話でもないから、今後新しいのが根付かない様に意識したいと思います。

最後に
今その性能で来ないでくれ



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