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私は優しくなんかない

おはよう、こんにちは、こんばんはkuroです。
今日はちょっと前にきっかけがあって日々思っていたことが何となく言語化出来たのでそのことをつらつらと綴っていこうと思います。

時折、私のことを優しい人間と言われることがあります。それに対して特段の不満があるわけではありませんが、大して私のことを観察していない意見だなと感じざるを得ないと思っています。ムカつくことをやられた場合に割と全力でぶん殴り返しますし、頻度が多いわけではないですが気に入らないという理由だけであまり褒められたことではないことだってやるときもあります。私は優しいのではなく他人に対して尋常じゃなく甘いだけです。自分に対してだと客観的に考えてこの程度やればいいだろうと思っている最低限度の妥協ラインに達すればよいだろうという考えで生きていますが、それが他人にとなるとある程度以上の迷惑を周りに振りまいていなければ息を吸って元気に生きているだけで偉いと結構大真面目に思っています。それが他人に期待していないだけなのか期待してダメだった時を恐れているのかは自分でもわかりません。その対応はどうでもよい人間であれば別にいいと思っていますがそうでない相手の場合そういうわけにはいかない事もあるでしょう。甘い事ばっか言ったってその人の為になりませんからね。私がそのような状況になるかは置いとくとして、果たして私はそういう時に甘い対応を取らずに毅然とした態度でいられるのだろうか。そう思いました。

あまり考えすぎるとろくなことにならないのは身をもって知っていますがこれは無視できる事柄ではないと感じたので頭の片隅に置いておいてゆっくり自分なりの答えを出していくのが良いのではないかと感じました。ある程度自分勝手になった方が楽であることは理解しているし昔に比べれば自分を責めることは減っていますが、私は自分勝手に振り切った振る舞いは出来ないようです。私の好きな漫画で「どのような立場の人間でも迷い、悩む」と言っていたし、幸い自分は上にも下にも横にも人間には恵まれているので悩んだ時はそれを活用するのが良いと思いました。ここまで文字に起こしてみて迷った場合は悩んで、頼って頭を抱えながらその時の自分が最も正しいと思う方法でぶん殴るのが性に合っているのではないだろうかと少し整理できたので適当にnoteに綴ってみて良かったかもしれません。結局、私はまだ納得しないと先に進む速度が著しく遅くなる子供なので、私が決める事が出来る己が行動くらいは胸を張れるものでないとどこかしら破綻するような気がするから。

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