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朱に交わればなんとやら

 「ことわざというものはなんと的確な言葉郡か!」最近そのように感じる機会が多い。的確な言葉だけが後世に残ってるんだろうがというマジレスもあるが、そのようなつまらない否定の言葉は置いといて本題に移ろう。

 つい数ヶ月前までモチベーションとは全て自分が出すものであり、そこに他人は関与しないと勝手に考えてきた。しかし、モチベーションは誰かに引っ張られて出てきたり上がったりするものでありモチベが無いと言ってやる気が出るまで待つなどという行為をやっても基本無駄に終わることのほうが多い。やる気有る者達の場に居れば上がり、逆にない者達の場にいれば下がる。そのような思い返せば当たり前のことを今更ハッキリと自覚した。

思い返せば当たり前のことと書いたように気付く機会は幾らでも合ったと思っている。優秀な奴の周りには優秀な奴が多かったし、腐ったミカンは他を腐らせるという言葉もあった、吹き溜まりには向上心などない連中が集い、「受験は皆で勝つものだ」などという言葉を教師陣は掲げていた。そのような発言の是非は置いとくが近頃複数人で何かをやる機会が多く、モチベーションは他人に波及する事を肌で感じたのだ。半分プリコネ半分はリアルなのは内緒。何で今更自覚したの?って言われたら単純に延々一人で遊んでたからだろう。人と交流するのは好きだが、一人で遊ぶ時間もかなり欲しく、人間よくわかんないなぁって思ったり思わなかったりしている。

 ただ人が何かを抱えきれる量には限界がある上にすべての物事に高いモチベを持たなければならないわけではないので「ありとあらゆる物事でモチベーションが高い場に身を置くべきだ」などとは言わないが、自分が刃を研ぎたいと思ってるものくらいは意識から変えたほうがいいなと思った戒めをこのノートとして残しましょう。

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