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7月22日 未来を考えることは杞憂なのか

ダラダラ駄弁った中での話題
先日、友達に最近感じている不安や思案している未来の事を話してみたところ「自分は未来の事を考えてもしょーもないと思っている」と返された。確かに、未来がどう転ぶなどわかったものではないし、今の私が見えている範囲で話せることなど未来から見れば些末なものなのかもしれない。だが、今迄まるで未来が見えてなかった私の未来に多少のビジョンが見えてしまうとそれについて考えてしまうのも無理はないのではないだろうか?以前にも杞憂が過ぎてストレスを感じてしまっていたことを反省したが、未来の自分の立ち居振る舞いについて思慮を巡らせる事は「やらなくてもいいこと」なのか、はたまたどの程度やるべきなのか、そういう感じの自分なりの落とし所はまだまだ考えなくてはいけない気がする。

手帳を確認せよ
今朝、手帳を確認したところ機能やるべきと書いたことが半分くらい残っていた。夕方に少しダルいと横になったら5時間くらい寝てしまったとはいえこれでは手帳を買った意味がない。最終的には適宜確認して予定を潰していくようになれるようになりたいが、まずは1日の終わりに確認する癖をつけなければならぬと感じた。忘れっぽいのは仕方ないから対抗策を身に着けよう。

惰性
最近、ソシャゲが惰性になりつつある。アプデが続き先へ先へは行くものの基本的にはいつまでも同じことをやらされるものなので当たり前かもしれないが、プリコネはストーリーを読むこととクラバトをやること、ブルアカはストーリーを読む事程度しか楽しみがないと感じた。ブルアカはそもそも真面目に育成して戦闘を詰めてやりたいと思えないゲーム性だし、プリコネは片手間に遊ぶサブゲームを意識して作られてるものなので2年以上も真面目にプレイしていたらそら育成リソースなど余ってくるもので普段はやることもなくなろう。そんな状況だが今でもプリコネはかなり好きだし、ブルアカもまあまあ好きだ。そこまで考えて思いついたのは「ならば、やるべきことのメリハリを付ければいいだけなのではないか?」ということだった。なまじ好きだからやろうやろうと思っていたが、幸い自分はゲーマーなので遊びたいゲームも積んでいるゲームも無数にある。普段はそれを消化してストーリー追加やクラバト開催時にはそっちに行けばいいだけじゃないか?。そんな当たり前のことをこうやって書き出して初めて思いついた。やはり、文字に起こすことは大事だな。

そんな感じでした、それではさようなら。



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