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魔法少女まどかマギカ

上記の作品は元々知り合いから勧められていたアニメであったが、アマプラにないしいつかそのうち見ようかな程度の気持ちで一年ほど塩漬けになっていた。そんな中よくある初回無料会員登録で登録したサイトで見れることに気付き、これは見るべきときか?と見始めた。そして、このnoteは別の知り合いが面白かったらパッションぶつけてくれとか言ってた気がするので適当に書き始めたものである。それと昔のアニメとはいえネタバレ有りなのでご留意ください。

その人のいるとこでこいつの好きな所を話したくなったから
パッション解放して文字でオタクの早口したのを面白がっただけだと思うけど。
良かったものや好きなものを話すのは楽しいから別にいいのです。

こんなものを書き始めてるのだから当たり前だが、社会現象になっていたのは伊達ではなくとても面白かった。「3話ごとに人が死ぬ」「主人公が変身するのは最後」「脚本が虚淵玄」事前知識はその程度だったがむしろその程度で良かった気はしている。救いがなかったり、どうすんだよこれ……って言いたくなるような話は好きなのでさっさと見るべきだったかもしれない。

脚本が虚淵の時点で察しが付くだろは禁止

虚淵脚本でかなり好きだった奴、こっちも人が怪物になる

一から十まで長々と語るほど文章を書く能力はないので、見終わって良かったなと思う所を2つ程摘まみ出す形を取ってみる。まずはよく畜生と言われている獣の台詞。「この国では、成長途中の女性のことを『少女』って呼ぶんだろう?だったらやがて魔女になる君たちのことは、『魔法少女』と呼ぶべきだよね」この台詞が本当に素晴らしいと感じた。

SIMPLE2000シリーズ THE カス

この台詞を吐いたキュウべぇは願いを1つだけ何でも叶える代わりに魔法少女になるという契約を主人公に持ちかける。人が死ぬような作品の魔法少女なのでそりゃもちろん碌なものではない。魔法少女の役目である魔女という化け物との戦いで死ぬ危険性があるのは勿論の事、魔法少女はいつか必ず戦っている魔女になってしまい二度と元に戻ることはない。キュウべぇは目的の為に魔法少女が魔女に転化する際に放出する莫大なエネルギーを欲しており、そのエネルギーの根源は感情である。しかし、キュウべぇの種族は感情を持っておらずそのエネルギーを自ら産み出すことが出来ない。だから願いを叶えるという取引を餌に感情豊かな年頃の少女を魔法少女に変え、魔女になるその時を待っている。勿論、魔法少女が魔女になると言う説明など一切しない。

※人の心がないからやってる

その設定を踏まえるとこの台詞は本当に綺麗なんですよね。「成長途中の女性を少女というのなら、いつか魔女になる君たちは魔法少女と呼ぶにふさわしい」という論理的な狂いのない台詞なのに、感情と言うものが一切介入していない狂った文字列で感情を持ち合わせていないキュウべぇの異常性をありありと見せつけている。更にタイトルや今まで作中で散々出ていた「魔法少女」という言葉の持つ真実を端的に言い現わしている。本当に凄いと思う、マジで膝を打った、最高、ブラボー。

それとこいつ

暁美ほむらと言うキャラも非常に良かった。寡黙なクールキャラかと思いきや終盤で発覚したあまりにも重すぎる主人公まどかへの想い。まどかを助けるために何度も何度も諦めずにチャレンジし続けるも、その行為自体がまどかに業を背負わせ続けていると知った時の演技は中々に心を打つものがありました。そんなどうしようもない状況を守ろうとしていたまどかがすべてを投げ打って解決しようとしたときは「どんな感情だったんでしょうねえ!」って闇属性のオタクが出てました。いやーよかったね。眼鏡外したのに関しては覚悟と共にって感じなんで本気になったら眼鏡投げ捨てる奴アンチの私としてはセーフです。テイルズのルークが髪切るみたいなもんです。

闇属性のオタクの例

まどマギを見ていて強く感じた事があと1つあったけど、長くなったし今回はこの辺にしておく。残り1つは気が向いたときにでも。




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