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理想と現実の狭間で

私は綺麗事が結構好きです。綺麗事とは理想論のことであり、普通に考えれば出来るわけがないけどできたら全てが解決する、そんな素敵なお話です。昔の私は「理想のことならば追い求めればいい、最初から綺麗事だからと諦めるのは勿体ないではないか。」そんな考えでした。まあ、八割方昔やったファイナルファンタジーXというゲームの主人公がそのような青臭い青年だったのでその影響なんでしょうけど、それはそれこれはこれ。そんな感じだった私は自分の手の届く範囲の綺麗事を出来るだけやろうとしてました。ハッキリ言って無理なんですが振り返ってみると経験としては悪いことではなかったが良い考えではなかったなと思います。ちょっとしたことであればうまくいくこともありましたが、何事も限度というものがあります。理想ばかり語っても無理が生じたりストレスが蓄積していつか潰れてしまうでしょう。では、理想を求めず生きてりゃそれでいいという現実だけを見てればいいのかなと思った時期もあったのですがそこでも問題が生じました。

つまんねえ!

自分の理想はみんな楽しく笑顔でいてくれることだったのですがそれを求めず、ただ漫然と空から降ってくる生を享受してるだけだと死ぬほど面白くなかったんですね。メンタルやってた時期とはいえいちいち極端なんだよなお前な。まあ、それ以降もなんのかんのありましたがそんな感じの様々な紆余曲折の迷走を繰り返した結果、「伸ばした自分の手を取ってくれる人が笑ってくれたらいいな」という綺麗事と現実の折衷案みたいな結論に今はなりました。この結論は気に入っているのでしばらくはこの方針で生きてるでしょう。こう振り返ってみると少なくとも私は白が正しい黒が正しいではなく、清濁併せ呑んで生きてくしかないんでしょうね。やはり、水清ければ魚棲まず。多少はダーティーなものを飲み込んだほうが上手く生きていけるんじゃないか、そう思った昼下がりでした。

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