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狂気の中から浮かび上がって

 狂うというのは幸せな事だと私は考えています。「狂う」と書くと耳障りが悪いですが、要するに夢中になると同じ意味です。3年ほど前に私はプリコネRと言うゲームを始めて、大分長い事狂っていました。最近その熱が良い感じに冷めて、自分の中では適切にソシャゲというものを楽しめてるなと感じたのでその経緯でも書いていこうと思います。

始めたきっかけの1つはこいつ、ハイパーかわいい

 友人の誘いと気に入ったキャラをきっかけにプリコネを始めましたが、正直(なんであんなにハマったんだろう)と考えても明確な答えが出せません。妙にストーリーに魅力を感じ、モチベに応じてどうとでも楽しめる戦闘にも魅力を感じ、毎月のストイベの曲も結構好きで、別ゲームのフレンドと連携と呼ぶにはお粗末なレベルのゆるゆるクラバトをまったりと楽しむのがなんだかすごく面白かったのです。基本的に一人用のコンシューマゲームを延々と楽しむタイプの私にとってそれは物凄く珍しい事でした。一時期スタミナ制のゲームを遊んでみたら冗談抜きに吐き気がしたレベルでソシャゲアレルギーだったことを考えると、良くそこまでのめりこめたなと自分でも思います。

スタミナを見てたら吐き気がしたゲームの一番好きなキャラ
このゲームはこのゲームでまあまあ面白かったです

ストーリー読んでくれる人が少ないから読んでくれそうな友達に「無料10連だからやれ」って言って始めさせたり、雑に「お前も遊ぶぞ!」っていったり、「今度プリフェスやるからこいつ引いて始めような」とか資料作ってプレゼンしたり、なんか本当に熱心なプリコネファンをやっていました。流石にもうやってない人の方が多いけど、なんのかんの続けている人がちょいちょい居るのでここに関しては(勧めて良かったなー)とか思ったり思わなかったりしてます。

確か最初に誘った人はこいつの無料10連の時だった気がする

 閑話休題、流石にそんなに熱心でも2年続けば周りのモチベは落ちるに決まってるし、自分自身のモチベだって多少冷めます。そして、人間とは愚かなもので過去の輝きを追い求めます。(周りのモチベ出せんかな)と色々画策したり、別のソシャゲを始めてみて夢中な気持ちをもう一度感じようとしたり、皆で遊べるところを求め連携クランに行ったり、まあ本当に色々。結果として「過去の輝きはあの日にしかない」と言う結論と「私はどんな風にゲームを楽しみたいか」がハッキリしました。

別のソシャゲの例
このコミュニケーションエラーの塊みたいな女の実装まだ?

 んでここからが本題みたいなもんなんですけど、別のソシャゲに夢中を追い求めてやってみたときの話です。最初の方はプリコネと同じで楽しかったものの段々と「私はいつまでこれを遊ぶのでしょうか?」という考えが自分の中に沸いてきました。レベルを上げて、素材を集めて、とかまでなら普通のゲームと同じですがガチャで新キャラが来たり、アプデで新要素が来たりと延々遊ぶことが出て来てしまいます。戦闘システムに面白味を感じたと言ってもソシャゲだとコンシューマなどと比べると斬新さや大胆さはどうしても欠けてしまいますし、延々とアプデアプデで遊べてしまうと元々私がやっていたコンシューマゲームを遊ぶ時間は圧迫されていきます。ソシャゲを遊ぶ以前の私は「やり込み要素が多すぎるゲーム」に対しても同じような事を感じた事があり、こんな冷静に考えればわかる事すら見えなくなっていたのは流石に愚かだったなとちょっと反省しました。夢中になるのは良いですが、その夢中を無理に求めても幸せにはなれないという教訓を得たのはプラスだったと思います。

プロセカで思ってたより音ゲーっておもろいなって気付けたりとか
他のソシャゲ(スマホゲ?)をやってみてプラスになったことは多かったので
総合的に見れば夢中を求めてみて良かったなとは思っています

とは言え個々人で傾ける熱量を意識すれば問題はないし、発狂してたのが終わっただけで今でも私はプリコネが凄く好きです。程よくやりたいことをやる為に気ままに楽しく遊んでいきたいですね。とりあえず、今はロックマンエグゼと逆転裁判3を遊ぼうと思います。おもしれ―んだあのゲーム。



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