見出し画像

【映画メモ】梅切らぬバカ【#18】

少し前に知ったのですが、ちょっと重そうなところがあって、見る機会がないまま過ぎていました。今回、良い機会を得たので見てみました。

解説は映画.comさんから

加賀まりこと塚地武雅が親子役で共演し、老いた母と自閉症の息子が地域コミュニティとの交流を通して自立の道を模索する姿を描いた人間ドラマ。山田珠子は古民家で占い業を営みながら、自閉症の息子・忠男と暮らしている。庭に生える梅の木は忠男にとって亡き父の象徴だが、その枝は私道にまで乗り出していた。隣家に越してきた里村茂は、通行の妨げになる梅の木と予測不能な行動をとる忠男を疎ましく思っていたが、里村の妻子は珠子と密かに交流を育んでいた。珠子は自分がいなくなった後のことを考え、知的障害者が共同生活を送るグループホームに息子を入れることに。しかし環境の変化に戸惑う忠男はホームを抜け出し、厄介な事件に巻き込まれてしまう。タイトルの「梅切らぬバカ」は、対象に適切な処置をしないことを戒めることわざ「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」に由来し、人間の教育においても桜のように自由に枝を伸ばしてあげることが必要な場合と、梅のように手をかけて育てることが必要な場合があることを意味している。加賀にとっては1967年の「濡れた逢びき」以来54年ぶりの映画主演作となった。

https://eiga.com/movie/95138/

まず塚地さんの演技が素晴らしかったです。とても自然というか、演じている感じがしないところがすごいです。そういう細部って、こういうシビアというか、微妙な問題を扱っている映画では気になるところですが、加賀まりこは当たり前に上手いのですが、塚地さんの演技が素晴らしいのでストーリーに自然に入り込むことができました。

グループホームが出てきます。自閉症と知的障害とが上手くやっていけるのか。とか、専門的な知識はないので、そういうことは置いておいて、こういう施設が自分たちの住んでいる近くにできた時にどうするのか。自閉症や知的障害の子供が持つ親は、自分が死んだ後に子供がどうやって生きていけるのか心配します。その一つの出口として、映画に出てくるようなグループホームは絶対に必要です。でも、自分たちのそばにはあって欲しくない。遠くでやっている分には応援するけど、自分たちの生活圏内に入ってきたら断固反対します。そういう、いわゆる人手なしな行為をNIMBY(ニンビー)と呼ぶそうです。その点を、様々な角度から考えさせられます。

Wikipediaを見てみると

NIMBY(ニンビー)とは、英語の句「not in my backyard」(我が家の裏には御免)の略語で、「施設の必要性は容認するが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を揶揄する侮蔑語(総論賛成・各論反対)。日本語では、これらの施設について「忌避施設」「迷惑施設」「嫌悪施設」などと呼称される。

日本はこういう人は多いんじゃないでしょうか。良い人ぶってるけど、自分が関与しないからであって、自分に関係してくるとさっさと逃げるか、こっそり反対する人。忌避施設や迷惑施設と呼ばれるものに何があるというかという事例を見ると、同じくWikipediaから

学校(小中高校、専門学校・大学)
清掃工場・最終処分場
下水処理場
火葬場
食肉処理施設
核施設(原子力発電所、核燃料再処理工場、放射性廃棄物処理設備など)
空港
バイオセーフティーレベルが高い研究所
軍事施設(軍事基地、砲兵工廠など)
道路、交通機関(車輌基地、機関庫、貨物駅や新幹線などの鉄道施設)
発電所
ダム
石油備蓄基地
風力発電設備
幼稚園、保育園

パチンコ・パチスロ店
ゲームセンター・カラオケボックス
ソープランド・ファッションヘルス
ラブホテルなど
消費者金融
刑務所・矯正施設(少年院・鑑別所など)
公営競技(ギャンブル)に関わる施設
競馬場、競艇場、競輪場、オートレース場
場外勝馬投票券発売所・競艇場外発売場・競輪場外車券売場など

精神科病院
知的障碍者・精神障碍者のグループホーム、福祉施設
児童相談所
依存症患者の回復施設

埋葬施設(火葬場、墓地、霊園、ペット霊園)
宗教施設

パチンコ屋とか公営ギャンブル、風俗店などは分かりますが、学校や幼稚園、児童相談所なんかが入っているのはちょっと理解できないです。反対している人たちの子供は幼稚園にも学校にも行かないのでしょうか。児童相談所に反対しているということは、虐待とかで殺されている子供は仕方ないよね〜って程度の認識なのでしょうか。

確かに迷惑はかかると思いますが、耐えられないほどであれば、動ける方が動けば良いと思いますし、日中にうるさいとかであれば少し出かけたり、図書館に行ったり、どうとでもできると思います。自分だけ良ければ良いという人が増えてるんでしょうね。

この映画にも、同じような人たちが出てきます。加賀まりこが、グループホームに反対している乗馬クラブのオーナーに、あんたのとこの馬も逃げ出すよね。お互い様だよ。って言うシーンがあるのですが、今の日本人は忘れてしまっていると思います。

どこかのネットミームとして聞いたのですが、日本では子供に、他人に迷惑かけないようにと教育しますが、インドでは互い迷惑かけるんだから怒らないように、お互い様だよって教えるんだそうです。出来過ぎた話なので、ホントかどうかは分かりませんが、そういうことですよね。お互い様。

結局、人は一人では生きていけません。一人で生きていると思っている人でも、水も飲めば電気も使う、何処かで誰かが作ってくれたご飯やお菓子も食べますし、誰かが建ててくれた家にも住んでいます。誰にも迷惑かけないとか、迷惑かけられたくない、人と関わりたくない、ということよりも、そういう直接目の前にいるのではない人のことが見えなくなっている、想像できなくなってるのが、現代の病理なのではないでしょうか。

映画の終わり方は、さらっとしています。別に問題が解決することもなく、大きな変化があるわけでもなく、ただ淡々と日常生活が続いていきます。多少の凸凹はあっても、日々の生活ってそんなにスペクタクルでもなければ、事件も起きないし、たまにビックリするようなことは起きますが、そのうち日常に戻ります。そんな終わり方がとても好ましく感じられました。

おわり


頂いたサポートは、とてもモチベーションになっています。新しい記事を作る資料費として、感謝しながら有意義に使わせていただきます。 気功・太極拳を中心とした健康と、読んだ本について書いています。どちらも楽しんでいただけると嬉しいです。 サポートしてくれたあなたに幸せが訪れますように!