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教育委員会制度について

コロナの休校が終わる。休校期間中は、子どもたちの学びや、心のケアをどうするかということで、全国で様々な取り組みが行われてきた。
もっとも衆目を集めたのは、やはりオンライン授業であろう。

https://m.huffingtonpost.jp/amp/entry/story_jp_5ec32788c5b6e7a7cb8fa80d

公立学校の教育課程を決めるのは誰なのか。今回の件ほどこのことについて考えさせられたことはない。多分、報道で違和感を感じる人も多かったと思う。「文科は何やってんの?」と。現場にいる我々もそれを感じていたし、願っていた。
現状では、最小単位の市区町村教育委員会がそれを決めているように見える。しかしながら、文科はもちろん、都道府県委員会や市区町村教育委員会から各学校に出されるのは、だいたい「ガイドライン」というお題目がついている。「指示」でも「命令」でもない。

教育委員会の権限については「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の第21条に規定されている。たぶん、オンライン授業については第5項と6項が該当する。

第二十一条 教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。          五 教育委員会の所管に属する学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関すること。
六 教科書その他の教材の取扱いに関すること。

問題は、教育委員会の権限は「事務」であるということ。拡大解釈する人もいるらしいけど、教育課程や教材・教具などの具体的な「内容」に突っ込むことはできない。それなのに、あたかも委員会はその権限があるかのように振る舞っている。戦後の日本が歩んできた教育行政のかたちは、権限なき決定の繰り返しだったといえる。権限のないところに責任はない。だから「ガイドライン」や「依頼」というかたちや、「校長会」を介して下ろすことしかできない。

法律的には、オンライン授業やるかどうかとか、少し前に話題になった組立体操をやるかどうかとかを決める権限は、学校長にある。どっかの委員会が組立禁止にしたのは、越権行為だ。

それはさておき、それなら学校でオンラインやろう!となったらできるのか。実際うちの学校でもそういう話になった。ハードが十分に整備された学校なら、校長の腹一つで実現可能かもしれない。しかし、実際にはそんな環境は、ごく限られた学校にしかない。慌てて整備しようにも、カネがかかる。

ちなみに、校長裁量の予算はないに等しい。少し古いが、ベネッセの調査「学校長の権限・裁量に関する調査」(平成19年3月)によれば、校長裁量の予算がある学校は1割。あっても、20万円以下がほとんどだという。たぶん、今も状況は同じだろう。

https://berd.benesse.jp/shotouchutou/research/detail1.php?id=3260

金のないところに権限はない。結局、予算を握る行政側からのガイドラインや通知を待ち、それを事実上の指示として受け止めて動くしかない。自分たちに決定権はないまま、押しつけられているのが現状だ。

自分の現状認識をとりあえずまとめられたところで、最後にある文章を引用して終わりたい。

 これまでの教育では,その内容を中央できめると,それをどんなところでも,どんな児童にも一様にあてはめて行こうとした。だからどうしてもいわゆる画一的になって,教育の実際の場での創意や工夫がなされる余地がなかった。このようなことは,教育の実際にいろいろな不合理をもたらし,教育の生気をそぐようなことになった。(中略)しかもそのようなやり方は,教育の現場で指導にあたる教師の立場を,機械的なものにしてしまって,自分の創意や工夫の力を失わせ,ために教育に生き生きした動きを少なくするようなことになり,時には教師の考えを,あてがわれたことを型どおりにおしえておけばよい,といった気持におとしいれ,ほんとうに生きた指導をしようとする心持を失わせるようなこともあったのである。

昭和22年に作成された、「学習指導要領(試案)」の一般編に書かれたものである。

自分は、最近これを読んで恥ずかしい気持ちになった。授業づくりや指導法について、誰か決めてくれ、教えてくれ、という気持ちが心のどこかにあったからだ。そういう教師がいっぱいいるから、委員会としても何かしなければならなくなる。越権行為と批判したが、それを招いたのは教師の怠慢であるのかもしれない。

奇しくも、小学校では今年度から、新しい学習指導要領が全面実施される。
わたしたち教師は、今一度子どもたちを指導する自覚と責任を取り戻す必要がある。教育委員会には、その後押しをしてもらいたいものである。

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