好きなことについて

かつて、NHKで「ようこそ先輩」という番組があった。著名人が自分の母校である小学校に行って、特別な課外授業を行うというもの。わりかし好きな番組でよく見ていたが、ときには深く考えさせられる場面があった。

そのなかでもいちばん心に残っているのは、五味太郎さんの回でのワンシーン。
五味さんが「好きな人がいる人?」と聞く。手があがらないのでさらに「好きなことがある人?」と聞く。やっぱり挙がらない。そこでこう言い放つ。「12年間を無駄にしている

記憶をもとに書いているので、細部は違うかもしれないが、とにかく「好きなことがないなんて人生を無駄にしている」というのは、かなり衝撃的な言葉だった。当時、おそらく自分も12歳くらいだったはずである。好きなことを自覚している小学生なんて、どれだけいるだろうか。

今にして思えば、五味さんの言いたいことは、好きなものを好きと言えるように、ということや、好きなものをたくさんもて、ということなんだろうと思う。

しかし、本当に好きなものを好きといっている人は、世の中にどれくらいいるのだろうか。例えば、一生懸命タグを大量につけたりするのは、なんとかして空虚な自分にイメージを取り付けているようにしか見えないのだ。

一方で、もっとライトに好きなものを好きと言えないものかとも思う。〇〇が好き!とは言っても、自分以上にそれを好きな人や、上手な人を見つけると、とたんに好きと言えなくなってしまう…。自分には、そういう経験がたくさんある。こんな自分が、「好き」というのなんておこがましいと、自己規制をかけてしまう。守ろうとしているのは、自分自身なんだけど。

もう一つは、好きなものをずっと好きでい続けなければならない圧力のようなものも感じる。途中で投げ出すのは悪であるという風潮が、好きなことにも入り込んでいる。飽きるという言葉のイメージは、どちらかといえば悪い方だろう。本来は、字的にも満たされるとか、そういうポジティブなことなんじゃないかと思う。

では、いまの自分が飽きずに好きでいることはなんだろうか。
マリノス、コーヒー、おやつ、SNS、本、子ども、……
結構あるもんだ。ここに音楽とか入ってこないのが不思議。と思ったが、SMAPはいまだに好きだ。あとはUNISON。スガシカオ。
おお、出てくる出てくる。きっと、大好き!と熱中するほどではないにしろ、それなりに好きである。

はじめの、五味太郎さんの言葉に戻る。たぶん、こういう好きではないんだろうな。熱中するほど好きなものを、聞いているはずだ。見つけなければ…と気負い続けてはや数十年。いまは、見つかればいいな、ぐらいである。自分には、それくらいがちょうどいい。

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