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好きなのは歌うこと、歌を聴くこと。

幼稚園の送り迎えで母に覚えた歌をよく披露してたんですが、ありえないくらい音痴だったのでめちゃくちゃ矯正されたのを覚えてます。
「歌詞でしかなんの歌か分からんわ!!」と言われて自分の中で音をコピーすることが正義みたいに思って頑張って練習してました。
それでもま~あセンスのないことないこと。。。

時は経ち小学校、クラブ活動選択では友達にダンスクラブに誘われたことから更に色んなジャンルの曲を聴くようになったりしました。
また中学校の文化祭や地域のカラオケ大会やら歌○タやらエイ○ックスやらと私の歌を披露する場所も年々増えてきました。
イマイチ上達しなかったのでどれもこれも中途半端な結果になっているのですが、変わらず”好き”という気持ちは持ち続けていたのでとうとうネットで歌声を披露することにもなりました。
ニコニコ動画といういわゆるネットタトゥーデビューです。

やめとけと今の私なら言うか・・・?いやそのまま満足する時までやりきれという感じですね。

今では米津さんやらYOASOBIさんやらネット出身のアーティストが受け容れられる時代になってきてますが、2006年当時はネットに顔を出すことさえ選ばれし者感はんぱなかったように思います。

ニコニコ生放送に足を踏み入れたのは2010年1月なんですが、動画投稿だけでは再生数が伸びないからネットラジオをしてみて名前を売ろうと思ったのがきっかけです。(仲良かった配信者のアドバイスもありました・・・)
17歳直前の私は、「とりあえずネット民相手だし、アニメキャラの声真似しながら女子高生らしく今日の出来事話してれば仲良くなってくれる人いるでしょ」くらいに考えてました。

大当たりです。
めちゃくちゃリスナーさんつきました。

JKだったこと、昔から音のコピーを特技と言えるほどに聞き込みをしてたから声真似のクオリティもそこそこだった(?)こと、ニコニコ生放送というのが最新鋭だったことからバカ売れ。
思い切って顔出し配信もしてみたところ、これもまたコミュニティレベルの増幅に繋がってくれました。

「よ~し!このまま歌える場所をキープだ!!!」
と、思ったのですが、ふと見渡してみると私のリスナーさんは顔ファン、喋りに癒されるファンがメインでした。
歌配信をしてもたかが知れたコメント数。
ただ喋ってるだけの配信よりリスナー少ないじゃんという感じ。

「あれ?思ってたのと違う・・・けどこれでいいのか?」
と歌配信は10回に1回くらいの頻度にして、主にコメント読みやSkype凸待ちなどに特化したカワいこぶりっこ配信と化してました。
理想形を実現化させるにあたり、何をどうすれば良いのか分からなくなったのです。

そして「歌い手(笑)」とされる時代も到来。
最早ネットに重きを置くのは違うのでは・・・と感じ、2015年にまた舞台に戻りました。

黒奈名義ではじめかけたのですが、ここでネット民だけのファン層になってしまうのもなんか違うと思い、「貴方の瞳に100万ボルト」って言えばレトロキャッチーじゃんと謎の発案から*瞳*という名前にして名古屋・大阪で活動開始。
やはり地下ステージ!!!ノルマってやつがありました。びっくり。
8人呼ばないとチケ代2000円8人分自腹ね。みたいなえげつない事態に引いてしまいました。
でもそのおかげか、きちんと見栄えする衣装で出ようとか、魅せられるステージにしようとかプロ根性みたいなものが培われました。
後、チケット代金の為にお客さん呼びたくない・・・となり、ノルマのないステージを探し、大阪日本橋にあるJ.bridgeさんを紹介してもらえることにもなりました。

よーしよしよし固まってきた~!基礎工事できた~!!という気持ちでした。

ニコ生も続けながら別名で歌の活動をしてみて思ったのは、見える世界や環境が全く違うことでしたね。
なんだかんだ歌を聴きにはるばる来てくださる方めちゃくちゃ多くて感謝感激だったなぁ・・・。
それに新規のファンも出来てほんと充実してた。
後は、衣装を他の演者さんと被せたくなくて必死に色んなのを着てみて楽しかったです。
20分内4曲の選曲何にしようかとかMCで何話そうとか考えるのめちゃくちゃ楽しかった。

途中休止せざるをえない状況にもなったけど、2017年9月まで続けられたのは、何よりも支えてくれる皆がいて、私の歌を私自身のライブパフォーマンスで楽しんでくれたからめげずに楽しくやってけたんだと思う。

歌い始めたころは音のコピーが正義だと思ってたけど、全然そうじゃなくて、盛り上げ方とかでフロアは変わるんだ、自分の"好き"を伝えられるんだって知りました。

今回も長くなったけど読んでくれてありがとう。

またいつか人前で歌える日が来ますように。


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