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中学受験のこと。

 外がふだんよりも明るいのに気づいて目が覚めた。窓に目をやると、窓の外には大粒の雪が降りしきり、白く煙っていた。
 中学受験もきょうが最終日だから、帰りはどこかのレストランに連れていってねぎらってやろうなどと考えていたが、一面の白い風景がすこしだけ気分を重くした。
 その中学は、地下鉄の駅を出てゆるやかなスロープを上がったところにある。この程度の雪なら足下を気にする必要はないだろうけれど、何かのはずみに「すべる」という言葉がふと口をついてしまわないかと思いながらコートの袖に腕を通す。

 地下鉄を降りて地上に出ると、思ったよりも路面は雪に覆われていた。以前に願書を出しに来たときには気にとめなかったが、学校への道路の歩道はカサをさすと親子が並んで歩くには狭く感じられた。たくさんの受験生の親子とともに、カサにあたる雪の重みを感じながら、歩幅を狭めてゆるやかなスロープをのぼっていった。

 正門のあたりでは、あちこちの受験塾の先生や事務の人たちが子供たちを出迎えて、激励の言葉をかけたり「合格」とか「必勝!」という文字が入った鉛筆を配ったりしていた。横断幕を広げたりして大手の塾は違うなと目をやっていると、近くから子供の名前を呼ぶ声がする。子供は小走りに駆け出して案の定ころびかけ、塾の担任の先生から「あ、すべったな」と冷やかされた。
「だいじょうぶ。ここですべったから、もうすべらないぞ」と背中をたたかれて子供は照れ笑いを浮かべている。

 先生方にお礼を述べてから、子供といっしょに門をくぐる。願書を出しに来たときにもいた守衛さんが、あの日と同じにようににこにこと笑みを浮かべながら受験生親子の列を見守っていた。

 校舎の玄関で、子供の背中を見送る。
 こうして子供を見送るのは5回目だが、きょうは第一志望。本人は場慣れしてきていてそれほど緊張している様子はないのに、下手に言葉をかけると無用なプレッシャーになるのではないかとこちらが緊張していた。「がんばれ!」などとへんに力のこもった声をかけたりしてはいけない、でも黙ってうなずいてみせるだけでは互いに物足りないのではないかと、子供の顔を見ながらのほんの一瞬のうちに逡巡した。
「がんばっておいで」とできるだけ落ち着いた調子で声をかけたつもりだったが、顔が引きつっていた、なんだかこわかったなどとあとから言われるかもしれないなと思った。頬のあたりをてのひらでさすりながら、子供が入っていった校舎の入り口のあたりや、廊下に貼られた行事のポスターをしばらく眺めた。

 父兄の待合室がある別棟に向かうと、建物のあいだのそれほど広くはない中庭がすっかり雪景色と化していた。

 願書を出しに来たとき、その中庭でこの中学の生徒たちを見かけた。
 セーラー服の女の子がふたりで、顕微鏡が入った木の箱をそれぞれ1つずつ腕にかかえて歩いていく。放課後の時間だから、理科部とか化学部とかの生徒かなにかではないか。すこしだけ前を歩く子が先輩なのだろう。もう一人の子にときおり声をかける。そのたびに後輩らしい子が小さくうなずいていた。
 もしここへ入学できたら、きっとうちの子供は理科部には入らないだろう。でも、どうか子供を仲間に入れてやってくれないか、この学校の生徒として迎え入れてくれないだろうかと、彼女らに向けてもしかたのない気持ちを募らせながら、いま自分が出てきた校舎に入っていく彼女らの背中を見送った。

 およそ3時間半。
 父兄待合室となっていた教室は暖房がすこしききすぎていたように思う。
 明日は雪らしいから暖房には十分に気を配るようにという配慮が行き届きすぎてしまったのか、あるいはすこし余計に暖かくしておいたほうが不安や退屈を感じにくいという心理学の実験報告でもあるのかと思いながら、年代物のスチームウォーマーの鈍い灰色のパイプを眺めた。

 窓際の席に座る。
 机には、よく見かけるロックバンドの名前がうっすらと見えた。そのとなりには、三角形の図形と数式のようなものをエンピツで書いて消した跡が残っていた。

 脱いで膝にかけたコートが重いよりも暖かいと感じられるようになるのを感じながら、ぼーっと外を眺めているうちに、ああもう今日で受験も終わりなんだなあとため息が出た。校舎の1階の教室から、中庭の向こうに立つ1本の古いヒマラヤ杉の木が見えた。

 塾に通い出したのは4年生のころだっただろうか。
 学校を終えて帰ってくると、ランドセルを部屋において、こんどは塾のテキストやノートが入ったカバンをさげて塾へ向かう。塾は大手ではないけれど都内や周辺に教室を持つそこそこの規模で、家から10分ぐらい歩いた、駅にほど近いビルの2階にあった。
 そこで授業やら個人指導やらを受けてビルの1階に降りてくるのがだいたい21時すぎで、その5分前には着くように迎えに行った。ときには、授業後に先生がくわしく説明してくれたからといって、つかれた顔をして22時前に階段を降りてくることもあった。

 友達の家へ行ってゲームをやったりビデオを見たり、そんなこともしたいのではないか、受験に焦点をあてたこういう生活にどんな感慨を持っているのか、どうして僕はなどと悲観にくれていたりはしないかと思い、帰り道にときには見当違いな話を向けたこともある。

「お父さんがあんたぐらいのころはさ」
 つかれているのか、子供はとくに興味を持つふうでもなく、足下に目をやりながら「うん」といった。
「たくさん勉強して、いい学校に入って、いい会社に入って、なんていう言葉があってさ」
「うん」
「ときどきテレビで、どこどこのお役所にいた偉い人が、定年退職でお役所を辞めるときに、びっくりするほどの退職金をもらって、それから民間の会社へ移って、そこでまた偉い役職につく。それを世の中では天下りっていうんだけど」
「うん」
「で、そこに2〜3年いて、それでそこを辞めるときに、またびっくりするぐらいの退職金をもらうんだ」
「そういうの、ドラマで見たことあるよ」
「そんなの不公平でおかしい、ずるいと怒る人もいるんだけど、でもああいう人たちはきっと、みんなが野球やったりゲームやったりしているあいだも勉強して、それですごい学校へいって、それからなかなか入れないお役所に就職したんだよ」「……うん」
 なんで僕は塾になんか行かされているんだろう……とつまらない思いをしているなら、そういう努力の先にきっといいことがあるよと言ってやりたかったのだが、およそそういう趣旨の話としては本人に届かなかったに違いない。
 その後しばらくは、その晩のさっぱりさえないやりとりを思い出してはため息が出る日が続いた。

 ヒマラヤ杉のそう太くない枝に積もる雪が高さを増していた。

 3年近く、おそらくそのときどきにやりたいこと、読みたいもの、行きたいところ、それらに封印をしてがんばってきたのだから、きちんと成果を出させてやりたい。目標を決めて、いろいろ我慢をする、でもこつこつと頑張れば感激的な結果をつかむことができる。そういう成功体験をもたらしてやりたいと思いながら、ヒマラヤ杉の枝に雪が積もっていくのを見ていた。

「………」

 テレビドラマなら「神様、仏様」かもしれない。
 切羽詰まった思いが募ったからか、頭の中がほんの一瞬、真っ白になった。

 そんな経験を以前にもしたことがあった。

 あれは十数年前、まもなく生まれると連絡があって会社を飛び出して駅の中を走り、駆け込んだ電車の中で、何かに向けて「どうか無事に、なんとか元気に」と念じたときにも同じような状態になった。鉄橋をわたるガタンゴトンという音が、ヘッドホンのボリュームを絞ったように聞こえなくなった。

 あれは誰に向けて念じたのだろう。
 自分のような不遜な人間の声を神様や仏様がきいてくれるわけはないだろうし、そもそも「神様」とも「仏様」とも唱えてはいないのだし。 
 だとすると、あのときの思いを誰かが聞き届けてくれたとしたら、それは誰だろう。それが誰かはわからないけれど、いまもういちど願いをかなえてくれるなら……と、どこにも焦点があっていない目線を窓の外にしばらく向けていた。

 あいかわらず大きめの粒の雪が静かに舞っていた。

 強い風が吹いて窓ガラスが音をたて、雪嵐に校舎が閉ざされたりしていたなら、こんなふうにぼーっと時間をすごすことにはならなかったのだろうと思いながら、空を見上げた。
 テレビドラマや小説なら、ここで突如、何か白い光のようなものがパパパッと上空へ走っていって、天のなにかに気持ちが届いて、願いがかなえられて、という運びになるのかもしれない。
 そんなことは起こらないからなあと思いながら、静かに目をつぶる。

 窓の外の明るさがまぶたをとおして感じられた。
 そのぼんやりとしたスクリーンのような平面を、輪郭がぼやけた円形の白い光が上に向けてゆらゆらと移動していったような気がした。それは稲光のような鋭角的な動きをともなったドキリとするような光景でもなかったし、何か激しいショックを覚えるできごとでもなんでもなかった。
 眼精疲労でまぶたの血管の動きかなにかが見えたのか、あるいは飛蚊症かな、とスマホの時計に目をやり、あと1時間かともういちど外に目をやった。

 入学試験がひととおり終わったといっても、翌日は平日だったので、子供は朝から普通に小学校へ行った。普通にといっても、その日の午前中に昨日の第一志望校の合格発表があることを本人も知っているから、落ち着かないでいるか、あるいは試験の感触から本人のなかでもう結果は見えていて、さばさばしているか。

 校舎から出てきた子供は、ばっちりできたのか、さっぱり刃が立たなかったのか、よくわからない表情で校舎の玄関から出てきた。
 一見してがっかりした様子は感じられず、校門をくぐって出たころにはとりあえずひととおり終わったなあという解放感が表情に見てとれたので、地下鉄に乗って近くのターミナル駅のデパートに連れていった。
 エレベーターで上階に向かう。ファミリー向け、ちょっとゴージャス、さまざまなレストランが並ぶフロアを眺め、ここがいいかなということで、肩ひじを張らないで食べられそうなイタリアンの店に入った。
 本人が希望した料理に加えて頼んだシーザーサラダが、まずやってきた。子供は木製のスプーンとフォークで半熟タマゴをおそるおそる割ってから、緊張の面持ちでボウルの中をかき回していた。

 合格発表がどういう形で行われるのか、くわしいことは聞いていない。
 翌日、地下鉄の駅を出ると、スロープのあちこちに昨日の雪がまだ残っていた。残っていたといって白い状態ではなく、融け残ったものがクルマのタイヤや人の靴で押し固められて、黒く汚れてテカテカと光っている。すべりやすいのでとよけながら昨日よりも早足で歩いて学校にたどりつくと、校門の向こうの広場にバスケットボールのゴールのようなものがそびえていて、その回りに人だかりができていた。
 ゴールの位置には白い布がかけられていた。時間になると、とくにアナウンスや案内もなく、先生らしい人が梯子をのぼっていって、布をそっと外す。

 たくさんの数字が縦横に並ぶ、そのリストのなかに子供の受験番号はなかった。

 昨日、イタリアンレストランでボロネーゼ・パスタを頬張る子供におそるおそる感触をたずねてみたところ、決して壊滅的にお手上げではなかったような印象を受けた。
 正解を出す受験生が何人もいないような難問はほとんど出題しない学校で、だから合否のボーダーラインにはたくさんの受験番号がひしめきあうのだと聞いていた。まあまあできたからと期待を膨らませながらの残念組の深いため息が、バスケットゴールのまわりのあちこちから聞こえてきたような気がした。

 バスケットゴールをあとにして校門へ向かう。合格者は校舎の1階の事務室に寄って、入学手続きのための書類を受け取ってから帰る。校門へ向かい、守衛さんに軽く頭を下げると、バスケットゴールからまっすぐ校門に歩いてきた自分にいつもと同じ笑顔を見せながら小さく会釈をしてくれた。

 家の玄関をあけると、結果を電話で知らせておいた家内は、合格していた第二志望の学校の制服の注文書や靴の案内をテーブルに広げていた。親のほうがまずさっと気持ちを持ち替えてやらなきゃねと言っているようで、確かにそうだと思った。

 願書を出しに行ったときに見かけた女の子の後ろにまとめた髪が縦に小さく揺れるようすや、さきほどいつもと同じようにやさしい笑みを浮かべながら会釈の際に微妙に視線を外した守衛さんの表情などが浮かんだが、それらを振り払うように首を振りながら2階の書斎へ向かう。別に家族の誰も見ていなかったが、何か楽しいことを考えているように見えるようにしようと思いながら階段をのぼっていった。
 デスクに向かって窓に目をやりながら、契約の打ち切りを考え直してもらうための企画を考えたり、もういちど企画をやり直したいと口説くための文句を練ったりするような「今からできること」は何もないんだよなと自分に言いきかせた。

 気持ちの切り換えがけっして早いほうではない。パパッと切り換えがうまくできる人間をうらやましいと思うことはしょっちゅうある。
 それでもいろいろ自分なりにじたばたした結果、翌日にはすでに、ああ、これで本当に終わったなという感慨にとらわれることすらなくなっていた。

 朝食をすませて書斎のデスクに向かう。ちょうど万年筆のインクが切れたので、ボトルを出してフタをあけたときに、リビングで電話が鳴り出したのが聞こえた。
 家内はさきほど買い物に出たので、どれどれとリビングへ向かう。
 電話機に表示されている先方の番号を見ると、どこかはわからないが見たことがあるような気がする番号だった。このあいだ挨拶に行った出版社かな、仕事の相談かなと思い、受話器をとる。

 「もしもし、○○さんのお宅でしょうか」
 と50代ぐらいの男性の声が訊ねてきた。
 「はい、そうです」
 「こちらは○○中学です。わたくしは副校長の○○と申します」
 それはつい昨日まで子供が、いや我々が第一志望としていた学校だった。
 何か忘れ物をしてきたのか、いやそれなら副校長という人が電話をよこさないだろう、あるいは何か不用意に設備を壊したりしたのか…。
 時間にして1秒もなかったと思う。いろいろな可能性が頭の中をかけめぐった。いや、具体的な可能性はそのぐらいしか思い浮かばず、「なんだろう」という文字が頭のなかに貼り付いて思考停止になった状態が1秒ぐらいあったのだと思う。

「失礼ですが、○○くんのお父様でいらっしゃいますか」
「はい、そうです。今回は子供がたいへんお世話になりました」
 相手の用件がわからないのでとりあえず丁寧に出ておくという、いかにも小心者ならではの対応にすこし気分が下がった。
「さきほど検討がありまして、○○くんを繰り上げ合格とすることが決まりました」
「はい……」
「あの、念のため、お電話に出ていただいているのがご家族の方であることを確認させていただきたいのですが、○○くんのお誕生日をお訊ねできますか」

 といわれて、月と日は覚えているものの、和暦でも西暦でも何年だったかはっきり覚えていない。ここで答えられなければその繰り上げ合格というのがふいになるわけではないのだろうとは思いながら、でもすぐに答えることができず、
 「すみません。事態がよく飲み込めないというか、気が動転してしまっておりまして…」
 と告げると、そういうケースが例年めずらしいわけでもないのか、
「そうですか。それでは○○くんが通っている小学校の名前を教えてください」
 というので、それならと無意味にハキハキと答えると、
「わかりました。ありがとうございます。それでは本日、13時までに書類を受け取りに学校までご足労いただけますか。それから、念のためお訊ねしますが、本校への入学の意志がおありということが前提になりますが…」
 とのことなので、
 「はい、もちろんです。ありがとうございます。なにとぞ、なにとぞよろしくお願いいたします」
 と努めて冷静を装って電話を切った。

 ちょうど買い物から帰ってきた家内に、たったいまの出来事を報告すると、家内もすぐには状況が飲み込めないようすだった。飲み込むのを見届けるのを待たずに玄関をとびだして学校へ向かった。

 校門をくぐる際に守衛さんは静かに二度うなずきながら僕にいつもの笑顔を向けてくれた。校舎へ入ると、顕微鏡の木箱を抱えた女の子がふたり、階段を降りてきて、小さく会釈して玄関を出ていった。

 書類を受け取って玄関を出る。中庭のほうに行ってみると、真上の太陽の光がヒマラヤ杉のとけ残った雪を照らしていた。

 帰りの電車の中で、書類が入ったバッグに目をやる。
 鉄橋を渡るガタンゴトンという響きのなかで、

 「ありがとう」

 と静かにつぶやいた。

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