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命の使い道。

縄文文化の研究者が、縄文土器や土偶、集落や葬送の習慣について解説している番組を見た。その中で縄文人たちが自然や月のサイクルにフィットした生き方をしていることに、魔女のネイチャー思想が重なった。

時代が便利になるにつれて、置き去りにされているもの。
わたしたちは全体の一部であって、共存するもの。
自然や時間に合わせたサイクルで、無理なく生きること。
死んだらまた蘇る、脱皮を繰り返すもの。

誰から教わるわけでもなく、そんな思想がわたしの根底にある。集団の中のルールは人間に適用されて、人間以外のものはお構いなし。そんな現代常識が子供の頃から馴染まなくて、今でも集団組織は苦手だったりする。

最近では、人間と話をするのも苦手だ。人気商売のためにありもしないことを特別のように語ったり、一個人の思い付きや閃きを霊感であると詐称したり、あるいはそのやり方や開発法なんかを伝授してみたり、なんかみんな厨二病じゃん。それに騙される人々もメンヘラじゃん。と思えてならない。

わたしはといえば、そんな時代の流れを感じているのもあって「きちんとした知識を伝えたいけど、伝えられない」ジレンマを継続中。ちょうどコロナなので活動自粛もしている。

そもそもコロナがなくても、わたしはイベント等で露出するのが苦手だ。アカデミックに考えることは好きだけど、どこかに所属するのが苦手だ。本当に必要とする人には出会えるし、わたしが本気で願えば困ることはない。
だからわたしは商売的な戦略をなんにもしていないし、生放送や動画でも「お知らせ」的なものがない。

そんなわたしのやり方には賛否両論あると思うが、わたしはこのやり方が一番だと感じる。昔は期日や納期に追われた生活をしていた。それはやりがいはあるが、満たされないし、心身を病む。わたしはわかった。そんなやっつけ仕事に心はどこにあるのか?だれと向き合っているのか?なにが大事で、わたしの命の使い道はなんなのか?ということが。

命の使い道をちゃんとわかっていれば、迷わずに進んでいける。わたしは癌になって死ぬかもしれなかった時、死ぬまでにしたいことを命の使い道にした。結局、死ぬ時は独りなので、生きているあいだに他人のことをあれこれ考え悩むのは勿体ないとも感じたし、他人に害をなさないかぎりは、自分のやりたいことを考えるより実行しようと思った。

お金を生み出すことはたしかに重要だが、死ぬ時にお金は持っていけない。持っていけるのは知識と経験だけだ。わたしが死ぬ後のことまで考えるようになってから、自然のサイクルに沿った生活ができるようになった。だから自分のペースで、ノルマやタスクや納期は決めず、やっていこうと考えたのだ。

なにかのイベントに出てみたら、とか、テレビに出てみたらと言われることがあるが、率直に言ってそれは超面倒くさい。自分で企画出演したほうがらくなので、そうしている。みんなに与えられた時間はそれぞれ有限だ。そのなかで「なにに命を使うのか」が問われている。べつに中二病やメンヘラに命尽くしてもいいけど。後悔しない生き方をしたい。

海王星が今年のテーマということで、今一度内省してみるのもいいだろう。わたしも哲学書をひっぱりだしてソクラテスから再読している。「ソクラテスの弁明」が気持ちいい。


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