見出し画像

わたしは適切な言葉を使いたい 魔女暮らし日記 2.7.2022

わたしの生業は魔女で、様々なハーブや鉱物の目に見えない能力を使って、生活に生かすためのオイルやお酒やパン、おまじないに使うためのブレスレットやサシェを作っている。

占いもする。が、わたしの中では占いがすべてではない。
この世の真理を勉強するために自然と身についた技術が占いというだけで、それがメインの仕事ではない。

そう言い切ってしまえるのは、おそらく表題が関係している。

そういう、不思議な世界のこと、目に見えないものというのは、適切な言葉を使わなければならないと思っている。
そうしないと、誤解や先入観を与えてしまうから。

誤解や先入観を与えてしまって、かつ、違うニュアンスで捉えられたら、その人の人生のノイズにしかならない。なんにもならない。
だからわたしは、人一倍言葉には気をつけたいと思って、日本語を使っている。
日本語には漢字があるのでニュアンスは伝わりやすいほうだと思う。

たとえば、「楽しい」と「愉しい」。

モジョバッグアトラクションサムネ1

これはモジョバッグというお守りバッグだ。
願掛けの儀式をして身につけるもの。

このモジョバッグは、大まかに言えば「恋愛系」の願いを叶えるためにハーブを調合し、鉱物や護符を組み合わせたものだ。

英語だとAttraction(アトラクション)という。
英語の説明文には、「愛を高め、魅力的になり、愛のある生活を送ることができる。他人を魅了することができる」とある。

でも、わたしはそれを読んだときになぜattractionなんだろうと思った。
別に簡単にLoveでもいいし、charmでもいいじゃん。
attractであるならば、楽しい気持ちが根底にあって、LoveよりもJoyのほうが近くない?

日本人がよく聞くアトラクションと言えば、遊園地のアトラクションという言葉かな。
しかし英語のattractionには、魅力(charm)も魅了も蠱惑(glamour)も含まれる。

最初にアトラクションオイルなどを調合した魔女は、なにを思ってその広義のアトラクションという言葉を使ったのだろう。
たしかに、遊園地ではしゃいでいる子供もカップルも目を輝かせて楽しんでいるのだから、魅力的である。
これを計算でやってたり、めちゃ溢れ出ていたら蠱惑的なんだろうな。

つまり心から自分が楽しむことが最初にあって、その結果魅力的に見え(あるいは魅力が高まった状態こそが)、愛のある生活の一歩ということだろうか。
楽しみのない関係性はメリハリがないだろうから長続きしなそう。

では、日本語にするときに適切な言葉があるだろうか。

広義の意味で楽しい、あるいは楽しくてキラキラしている人・時を表すような言葉は。

「楽しい」は刹那的な感じがする。
一時的なお金を払って得るような快楽、ただ「ラク」しているような、ややネガティブな意味すらもある。

Joy excite success…ちがう。

英語と日本語を行ったり来たりして、仏教の「愉しい」という言葉が適切かなと思った。
単純に一瞬を愉しむ、与えられた快楽を楽しむ「楽しみ」ではなく、心から素直に「愉しむ」こと。
この中には「精一杯さ」とか「自己実現」「生きるということ」のようなニュアンスまで入ってくる。
精一杯生きている人、自己表現している人は魅力的でしょ。

ということで、「愛の愉しみ」というふうに訳してみた。
そもそも愛とは、きっと心の素直なところから湧き上がってくる泉のようなものなので(魔術の根本にあるヘルメティックカバラの考え方では)。

たとえば肉体的に快楽を与えあう関係や、一方的な愛情の関係は本質的にはよくないよね、という意味で「愛の愉しみ」は深い言葉だと思った。

このように、英語と日本語ではかなりニュアンスの違いがあるので、英語圏の魔術本や占い本を言葉通りに解釈するのは危険だと考えている。
(日本語に訳された書籍は言葉通りの翻訳なのでちっとも役に立たないのよね。)
そもそも宗教的な考え方が違うのだから、風習も違うのだし。


ところで、わたしは言葉に気をつけて発したいのだけど。
占いもするし、そういう目に見えないエネルギーを使って道具を作るならなおさら大事なことだと思うのだけど、それがうまく伝わらないことがある。

それは、受け取り手が言葉を知らなかったり、ニュアンスを把握できなかったりするためだ。
受け取り手が悪いわけではない。人それぞれ語彙力が違うのは当たり前だし、得意不得意もあるはずだから。

けれどわたしのモチベーションは、「うまく伝わらないなら伝えない方がその人にとっていいことなのかも」と思って、占いに対して積極性に欠けるのであった。
知らぬが仏である。よけいな言葉は、よけいな結果にもなる。

プロは難しい言葉を使わずに説明するのよ、と言うけれど日本語の漢字のバリエーションが多いのは、日本人の繊細な情緒を表現するためのものだと思うのだけど。
情緒を適切に表現するために言葉を使うのが悪いこと?

時間をかけていいならたとえ話を交えて説明するけど、今、みんな時短でしょ?
たとえば、「蠱惑的な」を表現するために「クレオパトラや妲己みたいな」と言い換えたとして。そのほうが伝わりやすいので使いはするけど。

虫が三匹皿の上に乗っていて惑わしてくる、その漢字のニュアンスはどうよ。いかにも「蠱惑」にふさわしいじゃないか。

まあ、ただのコダワリなのだけど。
きっとわたしは文章からなにかを察したいタイプの人間なんだろうなあ。本が友達だったからなあ(笑)


今日も善い一日を。


魔術初心者にもおすすめなモジョバッグ。
脳内の意識変容で問題解決してみませんか。

↑儀式はこういうことをやりますよ

サポートして頂けたら、魔術研究の支援に使わせて頂きます。皆様により良い情報とデータを開示することで生き生きとした魔女活・魔術ライフになるよう願っています。