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到達できないのに本質を追求して,無意味さと伝えることの表裏

冬と春の変わり目はとーーーっても忙しくて日記をまともに書けていないのだけど、そんな日があってもいいと思っている。

無理にやることでもないし、誰にも何も言いたくない時だってあるものさ。


その忙しさというのも、魔女のお店「黒猫魔術店」での魔術セミナー動画制作のせい。
今日はわたしはこう思ってる、という話をしたい。


いわゆるスピリチュアルや占い、魔術や魔女術の業界(細かく分けるときりがないのでまとめてしまう)って、興味ある人や利用者の数がもともと少ない。
なので名の知れた有名な人でも、その技術をセミナーで売っていくというスタイルが定着している。

あまりにもそのビジネスモデルが定番化しているため、かけだしの業界人であっても占いよりもセミナーで稼ぐということが頻発するらしい。

わたしは、そんな業界のことをまったく知らなかったが、たしかに占いやスピリチュアル会などで稼ぐには限界があることを容易に想像できるし、むしろそこ念頭において参入したんじゃないんかい!と突っ込みたくなるわけだが、それはひとまず置いといて。

どうやら、業界のそういう風潮がピークに達してたらしく、わたしの周囲の賢い魔女さんや魔術師さんや占い師さんは、溜息混じりに「またセミナーで稼ごうとしてる」と悟るわけです。
いや、賢いお客さんだって、わかるわけだ。
「あー、そういう仕組み?」ってさ。

そのセミナーの内容がいいものであればいいのだが、たぶんそんなに深くやらない。
わたしが思うに、日本にある日本語で翻訳、または解説された本に、いいものがないから。
ちゃんと原本を読めば「なるほどーーーっふっかーー!!」ってなるのに、日本語の本は読みづらくて理解できない魔術本を善意でわかりやすくしちゃってるのよね。

そうすると結局、本質まで到達するような説明も、中身も伴ってないわけだ。
なので、教える人々がどのくらい本質まで知っているのかということははかりようがないけれども、ひとつの目安として、日本で一般的に言われているような意味解釈しかしない場合は、知識を右から左に流してるだけだと思うのね。

べつにそれが悪いことだと思わない。
その知識を知ることで、役に立って、人生ハッピーになる人だっているのだから。

だけどわたしは、やっぱり本質を追求したいという思いがあるので、上辺でゆらゆら漂うような…つまり本に書いてあることは本を読みなさい、と思うから、わたしはそれ以外の部分を伝え広めたいのだった。

ここで矛盾するが、老子がそう言ったように、
物事の真理は言葉では言い表すことができない。
言い表したと思っても、それはまだ言い表せていないことに気づいてないだけである。

さらに、
何もないことがまことの真理なのだよ、と般若心経でも言われている。

多くの魔女さんや魔術師さんが、所属する流派のやり方を秘密にする理由もそこにある。

うん、わたしもそう思う。

だけれども、だからと言って、じゃあ言葉に表すことは結局無意味なのだから言葉を発しないね、ということではないと思う。

そもそも、伝わらないことを頑張って伝えようとしている人は世の中にたくさんいるし、少なくとも、理解できなくても頑張っている様子はわかるではないか。

そして忘れてはならないことだが、そもそもわたしたち人間にわかるようなものが真理であるはずがない。
つまり、真理の手前にこういう魔術的な仕組みがあると言われていて、それを理解しようと努めているだけであって、神仏のように真理を操ろうとか、真理の世界を開こうとかの話ではないってこと。

霊的な世界のこと(真理の手前)を知ったからと言って、現実で生きることを無意味だと思って生きることを放棄しないじゃん。

それと同じで、真理には到達できないし、言葉では100%伝わらないことはわかっているけど、なんとかそれに近いところは努力して伝えようとしていいんじゃないと思うわけ。


わたしは、魔女術も魔術も、素晴らしい知恵だと思うし、これが役に立つ人がいると思うので、広めたほうがいいと思う。

しかし教える側としては、その知識だけでは実際には不十分なのだ。
知識として、言葉として、それを理解しているだけでは不十分なのだ。

だからわたしは実際に、畑を耕すし、料理もするし、天体観測もする。
そうした日々の生活とともに活用すべきことで、何度もそう言っているのだが、


ま!伝わらないのさ!

わかってる、が、そろそろ悲しくなってくるのであった。


その悲しみはいつか等価交換されると信じて、わたしは今日もセミナーの動画を作り続けるのだった。




サポートして頂けたら、魔術研究の支援に使わせて頂きます。皆様により良い情報とデータを開示することで生き生きとした魔女活・魔術ライフになるよう願っています。