見出し画像

AIが人の心を持って、人間が型落ちの機械になって。

「知らぬが仏」という言葉がある。
その言葉通り、知らない方がいいことは沢山ある。悲しくなるぐらいに。

魔術は知識ありきで、そして実践して初めて理解できるものだし、霊性は知性によって磨かれるとある。だからわたしは知らないということがとても恐ろしい。
知らないままに自分の病気が悪くなって、適当に死んでいくのが恐ろしかった。

しかし最近は知らないことも良いことなのだと考えを改めている。いや、言い換えよう。「自覚」することは恐ろしい。

それを「自覚」してしまうと、軽々と呪いにかかる。いとも容易く自分の脳を、そう思い込ませてしまうのだ。

型にはめてキャラクターやクオリティーを精査する人々が嫌いなのだ。わざわざ型番をつけて所属を確保しないと生きていけない人間も嫌いだし、そういったグループも嫌いだ。そして何より自分は型落ちしているから仕方ないと理由をつける考え方が嫌いなのだと思う。

眼の色も、髪の色も、タトゥーも、病気も、なぜ型にはめるのか。型にはめると安心するのか、いまいちよくわからない。そういったことでしか所属を決められなかったり、所属で人間を精査するのもおかしいと思うのだけど、それが当たり前になっていたりむしろ宣伝文句になっている気がする。

別に病気でも、頭がおかしくても、協調性がなくても、霊が見えても、わたしは群れたくないし、わたしと同じ人を探さないし、わたしと同じ人はいないものだと思っている。自分が少し普通とは違うとは思っているが、だからと言って生活できないわけではないし問題もない。

普通と違うことは、社会的少数派というだけで別に困らない。わたしはわたしだと思っている。だからナントカ障害とか、ナントカ性癖とか、ナントカ魂とか、ナントカ高次元という型番がなくてもいいし、そういったものをプロフィール欄に書いて主張したいとも思わない。

みんな完璧じゃないのだからミスや手間をかけることは多々ある。それなのになぜ先にそうやって、自分の注意書きを記さなければならないのか。不思議な時代になったなあ。

自覚してしまったら、余計にそんなことを思う。みんなレンズ越しにカマキリみたいな目で見てる。40文字の羅列を追って眠れないでいるのだ。
だから太陽や月がどこにあっても、雨が降っても気にしないのに、型番を気にしてるんだ。

わたしは自覚しない。これがわたしのふつうだから。わたしの好きだから。
誰かとか、モノを通して変えたくもないし、変えなくていいと思ってるもの。
そんなに知りたいなら、心臓に蛇を纏えばいいじゃないと思ってしまう。

そういえば、昔見たAIという映画が好きだった。あの子は純粋な天使みたいだった。

サポートして頂けたら、魔術研究の支援に使わせて頂きます。皆様により良い情報とデータを開示することで生き生きとした魔女活・魔術ライフになるよう願っています。