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東急本店閉店

東急渋谷本店が本日2023/01/31を以って、閉店することになった。

東京エリアの人間でも渋谷に縁もゆかりもない人であれば、イマイチどういう店なのか分からないだろう。ただ、何かと舞台芸術やクラシックの演奏会が開催されるBunkamuraオーチャードホールの隣といえば「ああ、あそこに百貨店あったのか」と分かる人もいるだろう。そしてBunkamuraの隣にある“本店”だけあって、“若者の街”渋谷にしては、かなりハイソな佇まいと品揃えが多かった。デパ地下の食品はそんなに賑やかではなかったが。

渋谷近辺並び東急沿線に縁があった人にとっては、「ハレの日に奮発して行く百貨店」であったであろう。あるいは渋谷で「若者であること」を謳歌していた人にとっては、駅から手前にあって、同じく東急が経営している109の引力の方が強く、東急本店に対しての思い入れはそこまでないだろう。さらには、普段は別のエリアの百貨店(新宿の百貨店群や、日本橋の三越・高島屋など)に行くが、「渋谷に寄った時は東急本店に行く」という人もいただろう。

このように、様々な人が様々な感想を持っているであろう。私もプレゼントの買い物や「渋谷に寄る時は行く」といった他の人が持っているような思い出が東急本店にはある。しかし、私にはそんな出来事が吹き飛ぶであろう“因縁”とも言える記憶がある。

2011/3/11

この日のことをもうすっかり忘れている人もいれば、実際に被害に遭い、この日のことを後世まで語り続けようとする人もいるであろう。東日本大震災の日である。

この日、世をしのぶ大学1年生だった私は、前期に続けて、後期もなんとかフル単で終えられたことに安堵した。そこから、早稲田で学生証の更新を行い、マイルストーン(早稲田生なら誰もが読む単位情報誌)も買った後、都内を散策した。「どうせだし、行ったことないし、中野ブロードウェイでも行くか」ということで中野ブロードウェイに行き、そこから渋谷に行った。この時は東京の土地勘がまだ分からず、定期券の範囲内でもあったので、なぜか中央線で間近な新宿ではなく、渋谷に行ったのである。

そして、当時から東急本店の7Fにあったジュンク堂書店に向かった。少しばかり周って、本棚の際の椅子のスペースに積まれてあった本に目を向けてた。その時、足元からまるで地下水がうごめくような振動を感じ、そのままその振動は激しい揺れに転化した。立派な建物の7階にいたのもあってか、その揺れは今までに感じたことがないぐらいに長く、揺れが止まらない間、「電気が消えたらどうしよう」と思いながら揺れに耐えた。

幸い電気は消えず、しばらく経って揺れは止み、下に降りることができた。私は当時スマートフォンはなく、通話のみが許されたガラケーしかなかった。それゆえか、情報を把握することができず、とっさに近くの人に聞くと、「宮城県の方で地震があったらしいです。」と知った。東海地震の想定震域に住んでいた身としては「東海地震じゃなくて安心した。」と思う反面、2日前にも新幹線が止まり、神奈川でも強い揺れを感じるレベルの“大地震”が東北であったので、「2日おいて東北で地震か... 恐ろしい。」と感じた。

それから情報が全くない上に、交通機関は全て閉鎖。でもって、当時は土地勘もわからないので、「恵比寿に向かって南下して品川まで行ければ...」と思ったのに、なぜか青山から六本木に向かい、ようやく新橋に辿り着いて、そこから品川まで南下することが出来た。

その日は品川で夕食と休憩をとり、ようやく自宅に帰れたのは翌朝だった。家に映し出されたテレビは既に公共広告で占められており、当日全線開業した九州新幹線鹿児島ルートのことが一切報道できなくなるぐらいに、報道は震災一色であった。

震災の直接の混乱は夏に入るかどうかという頃までだった。特に早稲田は校舎の耐震が不十分ということで、卒業式・入学式の中止に加え、春季講義の開始が5月のGW後に延期された。

この文面である事を思い出す人もいるであろう。そう、新型コロナウィルスの拡大に伴う2020-21年あたりの状況と似ているのである。それゆえに、式典が中止になったり、大学の講義スケジュールが変則的になったりした状況は他人事に感じられなかった。かくいう私もこの変則的なスケジュールで希望の講義やゼミの説明会に行けなかった苦い記憶があったからである。案の定、コロナ拡大に伴うスケジュールの変更によって留学や主催行事が中止になった人も数多く出てきた。加えて、原発事故の放射線に関する口論は、新型コロナにおける様々な論争(マスクやワクチン、外出など)と似ており、どちらも家庭や学校・会社の人間関係を壊すほどの威力があった。震災やコロナ感染に実際に遭った人の方がはるかに深刻であるが、これらも副次的な被害だったといえよう。

もうすぐ12回目の3/11が来る。新型コロナも5/8の5類化で名実共に一区切りが付く予定である。個人的にも、この12年間は震災の日を“一里塚”にして、自らの間抜けぶりも相まって人生のどん底まで落ちていった。今は12年間の“債務処理”がようやく始まったところである。しかし、12回目の3/11やコロナのひとまずの終焉を手前にして「因縁の場所」東急渋谷本店は沢山の人々の記憶に包まれつつ長い歴史を閉じる。

幸運にも年が明けた1月15日、私は久々に日曜朝の渋谷を散策する機会に恵まれた。あいにく東急本店の開店時間の前だったので、震災後も何かと通っていたジュンク堂渋谷店にはとうとう行けなかった。しかし、空港のターミナルのように出入り口から長くて遠かった埼京線・湘南新宿ラインのプラットフォームは移設され、何かと乗客が滞っていた山手線のプラットホームもちょうど1週間前に改築されて、「便利な渋谷駅」になっていく一方で、渋谷駅前のスクランブル交差点から先のエリアが今まで持っていた「ハレの日に行きたくなる気分」はみるみるうちに消えた。「ハレの日に行きたくなる気分」を引き起こさせるのをスクランブル交差点と反対側の渋谷ヒカリエを筆頭としたビル群や新宿・池袋といった別の繁華街に任せると渋谷が自ら決心したのであろう。そして、かろうじて渋谷駅前に残っていた“最後の砦”東急本店はついに無くなった。

最近治安も衛生面も悪化している渋谷駅前がどうなるかは私も分からない。しかし、かつてのように様々な年齢層・社会階層の人々が自発的に行きたくなるような場所では無くなっていくことは確かである。

夜明けゆえかゴミが散らかっていたセンター街。センター街のマクドナルドは混雑する一方、東急百貨店真隣のファミレスは朝のモーニングであるにもかかわらず閑散としていた。


追記)
執筆後まもなく、東急百貨店本店は2027年を目処に高層ビルに鞍替えする予定との報道があった。おそらくは、線路を挟んで反対側にあるヒカリエと共に、「便利になった渋谷駅」を中核とした“ツートップ”という構造にしていきたいのだろう。しかし、私含め様々な人の記憶が詰まったあの「これぞ百貨店!」という建物はもう無くなる。これがどう転ぶかは誰も知らない。

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