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福岡きくみるはなす円坐舞台

わたしが初めてくにちゃんに出会ったのは、18歳のときでした。

当時、生きづらさを抱えていたわたしは
くにちゃんのつくる場に惚れ、京都や大阪にも駆けつけては、つらい気持ちの荷下ろしに必死になっていました。
何度も死ぬことが頭をもたげましたが、くにちゃんからもらった「クロ は将来が楽しみだなぁ」という言葉をお守りがわりに、生き延びては、場に参加していました。

くにちゃんがつくる場の何がそんなにも魅力的なのか、言葉で表現することはとても難しいのですが、ひとつ言えることは、

くにちゃんが持つ価値観世界観は、
生きるのを楽にする、
自分をありのまま肯定できるようにする、
ということなんじゃないかと思います。

なので、わたしは迷わず、
くにちゃんのことを
一生に一度、ぜひ会っておいてほしい人、
と紹介しています。

是非皆さんも、くにちゃんのつくる場に出会ってみませんか?


*日時 6月5日(土)10時〜17時
    6月6日(日)9時〜17時

*場所 福岡パーキングビル
「森のコミュニティルーム」
    福岡市博多区綱場町1-17
    https://f-parking.co.jp

*場の守人 橋本久仁彦さん

*内容 円坐(エンザ)、未ニ観(ミニカン)、影舞(カゲマイ)
※「円坐」は輪になって座り、はなすこと。
「未ニ観」は聴くことを訓練するミニカウンセリング講座。録音した会話をテープ起こしして逐語録をつくり、聴き方をくにちゃんが解説します。くにちゃんのモノの見方が知れる機会です。
「影舞」はたどることを通してお互いの存在を受け止めていくことだと感じています。
下記に詳細を転載していますので、是非ご参照ください。

*定員 10名程度

*参加費 2日分 3万円
     1日のみ 2万円
※基本的には両日参加できる方を募集しています。1日のみしか参加できない、という方は事務局にお問い合わせください。
※参加費に昼食代は含まれません。

*お支払い方法 事前振込をお願いしています。お申込み頂いた方に個別にご案内致します。

*申込方法 
kurokikaku@humanize.co.jp まで、
①お名前 ②ご連絡先(メールアドレスと電話番号)を添えて、ご連絡ください。

*主催・問い合わせ先 
「くにちゃんを福岡に呼ぶ会」
吉次潤・西岡望(クロ )

*共催
株式会社ヒューマナイズ
クロ企画

*橋本久仁彦さんプロフィール
1958年大阪市生まれ。大学卒業後は高校教師となり、アメリカの心理学者カール・ロジャーズが提唱したパーソン・センタード・アプローチに基づく「教えない授業」を10年間実践する。その後アメリカやインドを遊学し、人間同士の情緒的なつながりや一体感とともに発展する有機的な組織作りと、エネルギーの枯渇しない自発的で創造的なコミュニティの建設に関心を持ち続けている。
平成2年より龍谷大学学生相談室カウンセラーを務め、様々な集団を対象とした非構成的エンカウンターグループを行う。
平成13年12月に龍谷大学を退職しプレイバックシアタープロデュースを立ち上げ、プレイバックシアター、エンカウンターグループ、サイコドラマ、ファミリー・コンステレーション、コンテンポラリーダンスなど、フィールド(舞台)に生じる磁場を用いた欧米のアプローチの研究と実践を積み重ねるも、10年間の活動を終え、その看板を下ろす。
現在は、「きくみるはなす縁坐舞台」を実践する口承即興~縁坐影舞空間 “坐・フェンス”の座長として、その様式建築に注力し、きくみるはなす縁坐村塾も開講中。日本人の存在感を基盤にすえたグループ「円坐」の探求もライフワークである。


≪未二観とは≫
手法としては基本二人一組で話し手、きき手と役割を持ちます。それぞれ 8分間ずつで、内容を録音し、逐語記録を作ります。二人で一緒に、話し手の世界を『ここにある』ようにしている感覚になります。

「もし、ただありのままに話し手の言葉を聞くことができれば、その 8分間は類まれな美しさを湛えた作品となります。それが『聞く(菊)』という鏡に映った我々の晴れ姿(影身)です。この姿見の視界が開けると、生きてきた人生に刻々と影響している影からの響き(影向)にも聞き耳を立てることができます。我々がただ語り、ただ話す(放す)ことが、実は一大事であること。そしてそれは『聞く者』がいて初めてアラハレる出来事であること。
」 (橋本久仁彦氏HPより抜粋)

≪影舞(かげまい)とは≫
影舞は、誰にでもすぐできる舞いの形です。
特に、詩や歌曲などと共に舞うと、詩や歌詞の言葉の「形」がくっきりと際立ち、聞き慣れて当たり前に知っていた曲がこの曲ってこんな歌だったのか、と時には涙になるような感動をもたらすことがあります。影舞では、舞い手は楽曲をほとんど聞いていませんので、歌の心を表現する意図を持つことができません。にもかかわらず、影舞を見る人は、詩歌そのものの心を普段より深く感じ取ることになります。
影舞とは影間居(影の間に居ること)。「自分を表現する」から退きあげていく稽古。静まる(鎮まる)稽古。「自分」という熱が冷めていく稽古。舞い手が無垢な在り方で、自分を踊らず、ただそこにいる(間居)と元々の詩歌の言葉やニュアンスが自由になって向こうから立ち上がってきます。
(橋本久仁彦氏HPより抜粋)

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