KUROKEN's Short Story 08
国語の教科書に載っていた星新一の「おーい でてこーい」にいたく感動した中学生のころ。ちょうど〈ショートショートランド〉という雑誌が発刊されたことも重なって、当時の僕はショートショートばかり読みあさっていました。ついには自分でも書きたくなり、高校時代から大学時代にかけて、ノートに書き殴った物語は100編以上。しょせん子供の落書きなので、とても人様に見せられるようなシロモノではないのですが、このまま埋もれさせるのももったいなく思い、なんとかギリギリ小説として成り立っている作品を不定期で(毎日読むのはさすがにつらいと思うので)ご紹介させていただきます。
氷の涙
なんてことのない些細なミスだったが、「おまえ最近、たるんでるんじゃないか?」と上司にさんざん嫌味をいわれ、こっぴどく油をしぼられて、今夜は会社を出るのがすっかり遅くなってしまった。
やけに冷えるなと思ったら、やはり雪が降っている。
僕はコートの襟を立てると、白い息を吐きながら家路を急いだ。
「もしもし」
明かりのまったくない真っ暗な路地で、若い女性の声に呼び止められた。
振り返り、腰を抜かさんばかりに驚く。
そこには全裸の美しい女性が立っていた。肌は雪のように白い。
「あの……」
裸の女は長い黒髪を左手でいじりながら、恥ずかしそうに口を開いた。
「……銭湯はどこですか?」
「え?」
思いもよらない彼女の言葉に、僕はしばらくの間、言葉を失っていた。
彼女は不安げな表情で、同じ質問をくり返した。
「あの……銭湯はどこですか?」
「あ、ああ……銭湯ね」
我に返った僕は早口で答えた。
「あそこに大きな煙突が見えるでしょう? あれがそうだけど……」
「ありがとうございます」
彼女は軽くお辞儀をすると、僕の前から走り去っていった。
「……なんだ、あれ?」
頭の整理がつかぬまま、再び家路を急ぐ。
なにげなく銭湯の方向へ目をやると、煙突の先から噴き出す真っ白な湯気の中に一瞬、先ほどの女の姿が見えた。
彼女は湯気とともに、ゆっくりと天へ昇っていった。
あの女はなんだったのだろう? と考えながら夜道を歩いていると、いきなり雪の勢いが増した。
しんしんと降り続ける雪に混じって、雨のしずくのような形をした氷の粒が落ちてくる。
僕はその粒を拾い上げ、空を見た。
――ごめんなさい。ぼんやりしてたら、地上へ落っこちちゃいました。
先ほどの女の声がかすかに聞こえたような気がした。
僕は微笑みながら、空に向かって呟く。
「君も相当、上司にしぼられているみたいだな。失敗は誰にだってある。へこたれるなよ、雪の精さん」
彼女を励ましたつもりだったのだが、氷の粒はいつまでも僕の頭上に降り注ぎ、なかなか止まることはなかった。
(1988年2月15日執筆)
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