MAD LIFE 338
23.一難去ってもまだ一難(4)
1(承前)
「じゃあ……」
短い沈黙を破り、瞳は口を開いた。
「お兄さんは私を安心させるために、あんなことをしたっていうんですか?」
江利子は黙って頷くと、窓の外に目をやり、ひとりごとでも呟くように先を続けた。
「浩次さんはあなたのことを大切に思うからこそ、あんな馬鹿げた芝居をしたの。……あの人はあなたが思っているような狂人じゃない。あなたが昔から知っているお兄さん――今だってなんにも変わっていないわ」
「……江利子さん」
瞳はこのとき、ようやく気がついた。
この人はお兄さんのことを本当に愛しているんだ、と。
おたがいがおたがいを傷つけたこともあったけど、きっと時がすべてを洗い流してくれたのだろう。
だったら、お兄さんと私の間にできた溝だって、いつか時が解決してくれるに違いない。
それまで私はお兄さんの帰りをただ待っていればいい。
お兄さんが罪を償って帰ってくるまで、しばしのお別れだ。
こうしちゃいられない。
お兄さんに私の今の気持を伝えなければ。
瞳は勢いよく立ち上がった。
「……瞳?」
それまで黙っていた洋樹が口を開く。
「俺には話がよくわからない。おまえと浩次君は本当の兄妹ではなかったのか?」
「おじさん……」
洋樹の不安げな顔に胸がぎゅっと締めつけられた。
おじさんが……私の本当のお父さん?
「ごめんなさい、おじさん」
洋樹に頭を下げる。
「私、今からお兄さんに会ってきます。話はそのあとで」
洋樹の呼び止める声を無視して、瞳は喫茶店を飛び出した。
(1986年7月16日執筆)
つづく
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