9. キングとモーセの運命
題:キングとモーセの運命
マーチン・ルーサー・キングが暗殺される直前に行った演説は、旧約聖書の申命記のモーセの遺言をなぞらえたものと思われます。
この演説の中でキングは、「私は神の許しによって山の上に登り、約束された地を見ることができた。私はそこに皆と一緒に足を踏み入れることはできないかもしれない。でも、私たちは一つの民となって、必ずその土地へたどり着くのだ」と述べています。ここで言う「約束された土地」とは、抑圧と不平等のないアメリカのことを指すのでしょう。
■モーセ
キングが語った約束の地に入れない指導者のイメージは、申命記の次の場面に基づきます。
モーセは…ピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。…主はモーセに言われた。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。(申命記34:1-5)
エジプトでの奴隷状態からイスラエル人を救い出し、荒野の旅程を導いてきたモーセは、目的地であるカナン地方に入ることができません。しかしモーセは、自分の民が「ヨルダン川を渡って得る土地で長く生きることができる」ことを確信しています(申命記32:47)。申命記という書は、そのモーセの遺言なのです。
なぜモーセは約束の地に入ることができないのか。民数記によれば、それはモーセがある泉のそばで神に逆らってしまったからでした(民数記20:12)。その泉での事件をここで掘り下げることはしませんが、代わりに、モーセが自分の民と一緒に約束の地に入れなかったのは必然であった、ということを指摘してみたいと思います。モーセは法制定者であるがゆえに、どうしても民のもとを去らねばならなかったのです。
旧約聖書を政治的に解釈してみようとすると、モーセが法制定者、国制制定者としての役割を負っていることがわかります。そのような人物は、古代ギリシア世界においては典型的な存在でした。
■デモナクス
たとえば、リビアのキュレネという町に植民した人たちは、「国を襲った不運を憂慮してデルポイに使者を送り、どのような国制をとれば、最もよく国民の福祉を期することができるかを訊ねさせ」ました。すると巫女は外国から「国政改革者を連れてくるがよい」と答えます。こうしてデモナクスという「名望の高い人物」が外国からやって来て、「実情を詳しく聞いた上」、キュレネの改革を行います(ヘロドトス4. 161、松平千秋訳)。国制制定者は王とは別に、その国の民にとって良いと思われる施政をととのえるのです。
■ソロン
ソロンという国制制定者も有名です。彼はアテナイのために、民主政治の土台を作りました。土地の抵当を解消し、借金ゆえに外国の奴隷に身を落とした人びとを国に連れ戻した、とも語られています(プルタルコス「ソロン」)。しかしソロンは、国民が助言を求めて自分のもとに押し掛けてくるのを避けるために、「貿易を外遊の口実にして、アテナイ人から十年間の在外を求めて出港し」ます。「この期間の間に市民たちが彼の法律に慣れると期待したからで」す(プルタルコス「ソロン」25、村川賢太郎訳)。「彼の言うところによると、彼自ら留まって法律を説明すべきではなく、何人も法律に書かれた通りを行うべきだと考えたからであった」(アリストテレス、『アテナイ人の国制』、村川賢太郎訳)。
■法制定者
デモナクスもソロンも、国民のために法律や国制を制定しますが、国民を支配したり、国民に付き添ったりはせず、かえって距離を置いています。彼らはあくまで黒子であって、支配者ではないのです。
このパターンはモーセにも当てはまります。モーセはエジプトの王と対立し、イスラエル人の指導者になり、軍を指揮したりしますが、決して王とは呼ばれません。モーセの第一の役割は法の制定です。法を完成させてそれを民に渡したら、モーセの役目は終わります。モーセ自ら民のもとに留まる必要はないのです。ソロンと同じです。
■去るべきモーセ
モーセは、自分の民が約束の地で自力で国を育てていく道筋を整えれば、それで満足なのです。モーセが民と一緒に約束の地に入るならば、彼はイスラエルの統治者になってしまいます。荒野でのモーセによる指導体制は、はっきり言ってしまえば独裁体制、君主制です。しかしそれは本来のイスラエルの国の姿ではなく、暫定措置でしかありません。かつてモーセがエジプト人であったとき、あるイスラエル人がモーセに向かって「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか」と言い放ちますが、それはモーセにそれらの役目が期待されていないことを暗示しています(出2:14)。
元来モーセは、エジプトの王による抑圧からの解放者として、神に任命されました。打倒君主制がモーセの使命でした。それにもかかわらず荒野でモーセは実質的に君主として民を統治しました。モーセは自らを打倒せねばならない運命にあったのです。今や、イスラエルがモーセから解放される時が来ました。モーセが目指した理想国にモーセは関わることはできません。彼は山の頂から約束の地を見ることしかできません。
■結論
モーセもキングも、新しい社会のビジョンを描き、それの実現に向けて民衆を導きました。しかし彼らはあくまで設計者であり、それゆえに二人は、山の頂から約束の地を眺めるにとどまったのです。彼らは王になることを望みませんでした。演説の中でキングは「われわれは民として約束の地を手に入れる」と言いました。約束の地の主人公は民であり、民が自立して国を作っていかねばならないのです。
2021/01/19
作:Bangio
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