キリスト神話の方法(3)種子の秘密

題:キリスト神話の方法(3)イエス不在論

■出発点としてのサム下7
 サム下7章のギリシャ語版(秦剛平訳、青土社)では、預言者ナタンが託宣と幻にしたがって(7:17)、ダビデの死後にダビデの胎から出てくるダビデの「種子」が、ダビデの跡継ぎとなり、王国を建てること(7:12)、ヤハウェが「彼」のために王座を立てること(7:13)、ヤハウェがその者の父となり、その者がヤハウェの息子となること(7:14)、そしてその者の王国が永遠に存続すること(7:16)、を約束します。「彼はわたしのために、わたしの名のために家を建て、そしてわたしは彼の玉座を未来永劫に立てる。…彼の家や彼の王国はわたしの前に未来永劫に信任される」(サム下7:13,16 秦剛平訳)。

■永続する王国
 旧約聖書物語に詳しい人ならば、この約束はダビデの後に続くイスラエルの南北王朝の王たちのことを指すのだ、と指摘すると思いますし、その解釈が自然であろうと思います。ダビデの子ソロモン以降の王たちのことを予言しているのだ、と。
 と同時に、その王統には属さない全く新しい王の出現を予告しているのだ、というひねくれた解釈も可能です。少なくとも、そういう余地を残しているとは言えます。なぜならダビデ王朝は永続せずに滅亡するからです。では、未来永劫立ちつづける王国とは何のことか。この単純な疑問こそが、キリスト神話の重要な出発点となったと考えられます。
 すなわち、ナタンの約束の中の「ダビデの種子」「彼の玉座」「彼の王国」「彼の家」というのは、イスラエル王国やダビデ王統とは異なる、隠された支配者や国を暗示している、という解釈の余地を残しているのです。

■秘伝の書としての旧約聖書
 以上のように、いったんサム下7章が謎の王ついての予言として解釈されると、旧約聖書の他の箇所にもその王についての秘密が埋め込まれている、という期待が生まれてきます。詩編など特にそうでしょう。詩編はキリスト密教徒にとって、必携の書だったと想像されます。
 サム下22章も「ダビデの種子」の秘密だ、という曲解も可能となります。「ダビデの種子」は、敵による不正義と死をこうむり(サム下22:3-6, 18-19)、彼は主に助けを求めます(22:7)。すると彼は主によって引き上げられます(22:17-21)。「キリスト」(クリストス)という単語も確認できます(23:1)。旧約聖書はもしかしたら「ダビデの種子=キリスト」の秘伝の書なのではないか。そうキリスト密教徒は考えたに違いありません。

■イエス不在論へ
 以上のことから、ローマ書1:3-4の神話の土台は、サム下7章とサム下22章であると言えそうです。キリストとは、ダビデの胎から出てきたダビデの種子のことであり、「彼」は神の子となり、その玉座は未来永劫据えられるのです。この途方もないシナリオこそが、キリスト教の出発点、ビッグバンであったのだろうと思います。 
 他方、学者を含めた多くの人が、キリスト教はイエスという名の実在のパレスチナ男性の生涯から始まった、と考えているでしょう。歴史上の人物イエスがいなければキリスト教が始まることはなかった、と。どの学者も、イエス伝である福音書(マタイ、マルコ、ルカ)の記述のほとんどがフィクションであるにせよ、キリスト教はそのモデルとなった人物の格言と活動から出発した、と信じています。日本の聖書学者やキリスト教史の専門家で、それを否定する人はおそらく一人もいないでしょう。イエスをキリスト教史から省くことは不可能とされていますし、この前提が覆ることは今後しばらくないでしょう。

2021/01/13
作:Bangio

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