マッガヨー

マヨヒガを知ってるか。
母にそう問われたのは、まだ私が10歳の頃だった。
知らないと答えたら、ひどく馬鹿にされたのを覚えている。

「感性が貧しいのよ」

実の娘に向かってそんな事を言ってから、母は仔細を聞かせた。

曰く、マヨヒガとはこの世のどこかにある不思議な家のこと。
偶然そこに辿り着けたならば、その者には多くの富が与えられる……という伝承の一種だった。

母はその話を私と妹に聞かせて、それから何か石の連なった首飾りのようなものを妹に渡した。

「これがその時カミコちゃんに貰ったネックレスよ。これを持ってからもう、幸せ続き。だからこれは大切な娘にあげるの」

……念のため、もう一度記載しておくけれど。
私と母は実の親子で、妹もそれは変わらない。でも、こういった事は珍しくなかった。母は自身の姉に強いコンプレックスを抱いていて、それ故に、第二子が生まれて「姉」という役職になった私を疎み、妹を優遇する傾向があった。こういう事に私が不平不満を言えば、それが卑しいと言って怒鳴りつける。だから私はその時、特に何も言わなかった。

何も言わず、ただ妹を少し憎んで、ひと月もすれば忘れた。

そしてそれを思い出したのは、5年後に妹の行方が分からなくなった時だった。

その日は父が県外に出張していて、家には私と母しかいなかった。
妹に異常が起きていると気付いたのは夜になってから。

気付くのが遅れたのは、夕方頃から母が大丈夫だと言い続けていたからだ。

妹の居場所を尋ねると、母は「マッガヨーヨ」と言った。
意味が分からなかったので聞き返すと、「そんなことも知らないなんてダサい」「ダサいって」「だー、さー、いー」しか言われなかった。だから私はそれ以上の追及を諦めた。母の言っていることは分からなかったけれど、つまり母の知っている事情でいないのだと思ったから。

けれどもそれから、妹が帰らないまま20時を迎えた。
私はさすがに何かがおかしいと思っていた。母は平然としていたけれど、妹を迎えに行く準備をしている様子もない。ただいつも通りに夕食の後片付けを終えて、テレビを見ていた。
妹の分の食事は最初から無かった。

「お母さん」
「なにー」

私が少し緊張した声色で話しかけると、母は何故か、少し機嫌の良い声で返事をした。
だから私は、それに少し気圧されながらも妹の行方を尋ねた。

「だーかーらー、マッガヨーって言ってるでしょ」
「マッガヨーって何」

「マッガヨーヨ」ではなく「マッガヨー、よ」だった。
何度も尋ねて、得られた情報はそれだけだ。母はそんな私を嘲るように笑うと、ようやく話を進めた。

「まー、よー、ひー、がー」

1音につき1秒ずつ使って、それだけ。
そしてそんな言葉の意味を理解できない私を更に嗤うと、今度は苛立った様子で続ける。

「マヨヒガに行ってるのよ、マヨヒガ!」
「そんなものあるわけ無いでしょう」
「なに嫉妬?」

そう言うと、今度は「嫉妬キモイ」を連呼するだけになった。

これはもう母に任せておけない。
私は子供ながらにそう判断すると、別の大人に助けを求めようと行動した。けれどそれをするには間取りが悪かった。私はまず父に連絡を取ろうとしたのだが、電話が母のすぐ傍にあったせいで、受話器を持ち上げた途端に組み付かれてしまった。

「マッガヨーって言ってるでしょ、マッガヨーよ、マッガヨーなんだから」

そんな事を言いながら、母は爪を立てて私を電話から引き剥がそうとした。
母の言動がよく分からない……という事は、正直それまでに何度もあった。けれどここまで酷いことは無かったから、私もパニックを起こしていた。だから母を力任せに突き飛ばして、それから父の勤務先に電話をかけようとして──そこで意識が途切れた。

私は次の日、頭から血を流しているところを父に発見された。
学校から私の不在を知らされた父が予定を早く切り上げて帰宅し、ひとまず荷物を置こうと入ってきたところで、ドレッシングと生野菜に塗れた私が倒れているのを見つけたらしい。父はすぐに救急車を呼んで、搬送中に意識を取り戻した私から話を聞き、そこでようやく妹の失踪を知った。

父は私が治療を受けている間、まずは母の職場に電話をかけた。
私の言葉が全て正しいのならば、母は次女が失踪したことを良しとして、自分に従わない長女をサラダボウルで殴りつけた。そんな妻がどうして平然と出勤しているのかを確かめようとしたのだが……電話に出た彼女は、ただひたすら「マッガヨー」「ダサい」「キモイ」を繰り返すばかりで、話にならなかった。

妹はそれから三日後、河川敷で遺体となって発見された。

彼女の死因については、詳しく話したくない。ただ人としての尊厳を酷く傷つけられたことと、最初の日に警察が探していればおそらく助かったであろうことだけを伝えておく。そしてそれを聞いた時、ようやく父は離婚を決意したそうだ。

母は失踪初日の言動から警察による取り調べを受けたが、結局、妹の失踪自体には何も関与していないと結論付けられた。

私はあの日以降彼女に会っていないから、その後の話は全て又聞きだ。
今は実家に帰って静かに暮らしているだとか、未だに妹のことは「マッガヨーだ」と言っているだとか……そういう話ばかりで、私を殴ったことについては何も。これに関してはもう、諦めた。

私は今、事件のあった街から遠く離れた場所で父と暮らしている。
けれど平穏とは言い難い。いくら差をつけられて育ったとはいえ、妹の死はあまりにも衝撃的だった。それに何より、あの日の母の異様さが今でも心に突き刺さっている。

私はオカルトを信じない。
母がマヨヒガに行ったというのも、きっと何かの勘違いだ。見知らぬ人の家に入り込んで、そしてそこから首飾りを盗んだとか、そういう話だと思っている。

けれど──「マヨヒガ」に関わる話をする時の母は、まるで何かに憑依されたかのように不気味だった。マッガヨー、マッガヨーと繰り返しながら娘二人を危険に晒す彼女の、あの焦点の合わない目が忘れられない。今こうしている間にも私を追いかけて、次の瞬間にはドアを開けて入って来るんじゃないか……という妄想がいつまでも付き纏う。

でもそれと同時に、やっぱりあれは彼女の人間性に問題があっただけじゃないか、とも思ってしまう。

警察の取り調べでようやく分かった事だが。
マッガヨーは「マヨヒガに行きましたよ~」の略で、母の造語らしい。

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