まとまらない言葉を生きる(柏書房)


荒井裕樹さまへ

言葉の空回り

長い間「ことばが空回りする」ことで足踏みをしていました。
荒井さんの「言葉が降り積もるとすれば、あなたはどんな言葉が降り積もった社会を次の世代に引き継ぎたいですか」の問いが確実に届いた今の私はもしかして空回りしない言葉が紡ぎ出せると少しばかり希望を持ちました。
施設育ちの私はそれだけでどこか「架空の自分」を生きる術を持ちました。言葉はそこから羽のようにふわふわと生まれそしてフワフワと根付き、枝葉をつけていきました。そんな自分が心苦しくどんな未来がまっているのか不安でしたが、日本を離れることで枝葉をつけた私をそのまま受け止めてくれた友人たちに「現実」をプレゼントされ今日まで走り抜けてきました。
わたしの言葉は、英語やドイツ語のように外国語に置き換えられ根も葉もなかった私のことばはそのかたちも役割りも変わってきました。それからは繋がるためのツールとしての言葉のKnow Howを追求する仕事の没頭することで言葉の本質を問うことをやめました。
今からちょうど20年前、父が亡くなったことをきっかけに私の「架空の世界」はいきなり現実に引き戻されました。ハンセン病で53年もの間療養所で暮らした父が残した「沈黙」という雄弁に向き合うことになったからです。それは思いもよらぬこの病の歴史が私の生と無関係ではないということを父は死をもって語ったかたちでした。私は空回りし続けた自分のことばにも向き合うことになりました。
荒井さんの「まとまらない言葉」はまさに父が選んだ「沈黙」という最大の「雄弁」であり今私につきつけられた「ことば」となりました。
これからゆっくり紡いでいきたい「ことば探しが」はじまりました。


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