寂しさ

何かに集中すれば淋しさは紛れる、それが人間の本質ともいえるが、その1つ1つの何かの間に雑用の時間というのは生まれるわけで、そういった日常的な瞬間にまた淋しさが現れてくる。
結局、その雑用自体にも集中して取り組む、そして呼吸に集中する、あとはSNSへの接触時間を減らすしかない。

別に今はそこまで寂しいわけではないんだけれど。寂しさ・淋しさについて考えていた。雑用の瞬間瞬間にまで刺激を求め寂しがっている自分がいた/いるので。
せわしないね、というやつか。

なんだかんだ一人を超えられていないんではないか。独りになりたい。

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