2038年の生活:落日のアフターマス

 この項では2030年代までの一般的な労働者の生活について解説する。この世界の「普通」を知ることで、キャラクターを作り出す一助となれば幸いだ

■コーポレートファースト
 1980年代以降急速な拡大を続けた金融経済。世界規模のサプライチェーンを組み上げた企業はもはや一つの国や地域に依存する存在ではなくなった。資本、資材、人材。自己完結可能となった企業は“ミニ国家”となった
 自己の独立性を確保した企業は、次に有り余る金をもってして世界規模のロビー活動を展開した。政治家への合法・非合法な献金、情報提供、接待。自らの息がかかったものを政界に送り出すこともした。90年代を通して政界に影響力を与え、決して無視出来ない存在感を築いた彼らが次にやったことは、企業の権益強化である

 減税、資金援助、解雇規制緩和などなど。企業は君臨も統治もする気はなかった。そんな面倒なことなど政治にやらせておけばよい。必要なのは金、そして脅かされぬ地位だ。そのために政治家には多くの見返りを与えた。
企業の専横を止めるものはもはやなく、際限なく成長を遂げた企業は肥大化し、全世界に影響力を行使するまでになった。

メガコーポの誕生である

■メガコーポ時代の労働者
 このように、企業の権益が強化され相対的に労働者の権利が蔑ろにされたことにより、2000年代後半からの時代は一般大衆にとって辛いものになった
 工場の機械化や第三国への移転により、先進国では失業者に溢れ、途上国では過酷環境で低賃金労働に従事せざるを得ないものが多く生まれた。解雇規制の緩和により企業は簡単に労働者のクビを切れるようになり、退職金や保険金を出さずに済むようになった(それどころか、どんな不当な労働者への“損害賠償請求”も通るようにさえなった!)

 企業は反発心を上手く労働者同士の対立意識に転化した。ある場所では密告制度を作り同僚を陥れたものに報奨金を与えた。ある場所では実績を貼り出し、過剰ノルマと短納期による仕事の遅れを“無能な”労働者のせいだと言い憎しみをその一点に向けさせた
 ここに労働者の団結は崩れ、企業の操り人形と化した。権利保護活動は黙殺され、規模が大きくなれば指導者が”不幸な事故“に遭い、その事件さえ雑多な情報の奔流に押し流され、消えていく。政治、経済、報道。すべてを牛耳る企業に、もはや敵はいなかった

■階級社会
 事ここに至って、世界は2つの階級に分けられた

 低技能、低賃金労働に従事する「ルーザー・クラス」
 高度教育を受け、企業の上層部を独占する「エリート・クラス」

 両階級は基本的に交わることがない
 エリート・クラスは「アーコブロック」と呼ばれる環境調整地域で暮らし、ルーザー・クラスは治安の悪化した危険な、昔ながらの警戒地域で暮らさざるを得ないからだ
 時として才能を認められればルーザー・クラスからエリート・クラスに這い上がることが出来る。企業はそう宣伝しているが、容易なことではない。よしんば上がることが出来たとしても、経済的・文化的に恵まれてきたエリート・クラスのサークルに入ることはまず出来ない。這い上がることが出来てしまった負け犬は大概悲惨な末路を辿る

 一方で、エリート・クラスの住民も安泰というわけではない。ルーザー・クラス以上に苛烈な企業内での生存競争、権謀術数。複雑極まる儀礼的ルールに反すれば居場所がなくなる理不尽。そして意図しない非礼により上層部からの不況を買う恐怖

 そう、この世界は誰にとっても過酷なのだ
 勝者にとっても、敗者にとっても

 この世の春を謳歌出来るのは企業のトップ――支配者のみだ

■2030年代のライフスタイル
 2030年代の労働者は極めてミニマルな生活をしている。これは可処分所得が少なく、給料のほとんどを生活費に使わざるをえないからだ。彼らは味のない激安のプレパック食材を食べ(キッチンは多くの労働者向けアパートでは取り付けられていない)、規格品の作業服を身に纏って働き、安物のパイプベッドで眠る。休日を謳歌するだけの所得はなく、ストリーミング配信された数年前の映画を見たり、無料の旧作文学作品(労働と奉仕のすばらしさを喧伝するものがすべてだ)を読むのが精々だ

 エリート・クラスの人間はもう少しマシな生活をしている。彼らの暮らすハイグレードなマンションには大きなリビング、キッチン、バス・トイレがあり、2つの寝室がついている。上等なプレパック料理を食べることが出来るし、余暇として料理を楽しむことが出来る。栄養調整したバイオ生物とその肉はヘルシー志向の住民にも好評だ。ストリーミング配信には常に最新の作品が表示されるし、外に見に行くことだって出来る。安全な環境調整地区でピクニックを楽しむことだって出来る

 中産階級はほとんど存在しない
 勝つか、負けるか。それがすべてだ

■2030年代の職業
 以下に示すのは、2030年代の労働者たちの典型的なスタイルだ
 ショービズや法曹など、これらに属さないものも多くいるが、すべてに共通していることがある。過酷な生存競争に晒されている、ということだ

・小規模事業者
 メガコーポが世界を支配するに至ったとはいえ、その庇護下にはないものたちも存在する。地域に根差した小規模な商店、小規模な放送局、個人経営の飲食店などだ。こうした事業者は地域にメガコーポにとっての餌だ。物資の供給には大企業の力を借りざるを得ない彼らはほぼ例外なく苦境に立たされている。ありとあらゆる場面でメガコーポとその系列店舗が立ちはだかってくるからだ。彼らは資本がないためにメガコーポ以上に過酷な労働を行わなければならない
 サービス残業、過剰なコストカット、人員の削減……そしてメガコーポは苦境に陥る彼らに、蛇の如く忍び寄る。新たな機材を調達したり、取引の大幅な割引を餌に、事業者を死ぬまで食い尽くすのだ
 サイバーウェアは労働者階級にも人気だ。中でも消化器官強化サイバーウェアは、失業を経験した底辺労働者たちの間で重宝されている

・メガコーポ、あるいはその系列
 メガコーポ本体の社員は、企業すべてを合わせたとしても世界で1割に満たないと言われている。傘下の系列企業まで含めればもう少し割合は上がるが、それでも狭き門だ。メガコーポ(あるいはその系列)に勤めることは最高の名誉だ

 メガコーポの社員にはすべてが与えられる
 俸給、素晴らしい待遇、安全な住まい……

 もっとも、それはメガコーポの生存競争に勝ち続ければの話だ。簡単にクビを切られるのはルーザー・クラスと同様。そしてメガコーポの役員席は少ない。常に同僚を監視し、弱みを握り、蹴落としていかなければ生き残ることは出来ない
 メガコーポの社員はそれ以外の人間と比べて、脳改造サイバーウェアの使用率が高いという統計もある。これは罪悪感を司る部位の働きを抑制し、過酷な世界での生活に適応するためだと言われている

 なお、メガコーポは軍隊を保有してはいないが秘密工作部隊を有している。公然の秘密である彼らは他の企業相手に諜報、破壊工作活動を行っている。その部門では当然戦闘の危険が存在するため、高い戦闘能力が求められている。軍や警察、ギャングから引き抜かれた戦闘員の存在も珍しくはない

・軍、警察
 各国の軍、警察は未だ国家が所有している。企業にとって国防軍や治安維持のための警察は重荷でこそあれ必要としているものではないからだ。一部、企業のプライベートセキュリティを担う高級警備会社は存在するが、法外な価格設定に耐えられるものだけが利用出来る。彼らは最高の装備、最高の教育、最高の支援を受け、安全なアーコブロックで快適な仕事をしている。もちろん彼らもまた、メガコーポの関係者だ
 国営の軍、警察は毎年予算が削減されている。メガコーポとその息がかかった議員にとって、治安は悪ければ悪いほどいい。そうすれば警備の需要が増えるからだ。現場で働く人間にとってはたまったものではなく、軍・警察の反企業感情は強い

 少ない予算をやりくりしながら仕事を進めているため、軍・警察の装備は何年もの間更新されていない。壊れた銃を修理したり、アーマーを繕ったりする簡単な作業にさえ煩雑な手続きが必要となる。給料が安く、訓練がきつく、仕事も厳しい。彼らが相手にするのは越境してきた他国の兵士や、都市を我が物顔で横断するサイバーギャングたちだ。武装、装備ともに潤沢な相手との交戦で殉職するものも少なくない

 そんな場所で働いている人間は大きく分けて2種類
 ひとつは軍が供与してくれるサイバーウェアや資格を目当てにするもの。運転免許や大学への推薦状は魅力的だし、筋力強化系サイバーウェアを与えられれば後の就職で有利だ。脳強化系サイバーウェアがあれば退役後起業するのに役立つかもしれない
 もうひとつは国家への忠誠心、国民への奉仕の意思を持つものだ
 彼らは時代遅れの産物として見られている

・ギャング
 ギャングは貧困家庭にとってポピュラーな就職先だ。警報地区には警察すら滅多には近寄らず、徘徊する無軌道暴力集団やジャンキーの脅威から身を護るためには地元のギャング団に恭順するしかない。彼らが脅威を作り出していても、だ。そうしたギャングの力強さを見ていれば、自分もその一員になって肩で風切ってストリートを進みたいと思うのは自然なことだろう

 ギャングの世界は古めかしい年功序列の世界だ。古参ほど尊敬を受け、新参は奴隷同然の扱いを受ける。ケチな犯罪で危険を冒すのはいつでも下っ端であり、上役はその上がりだけをかすめ取る。若者たちはそんな姿にあこがれ、危険な仕事をこなし、いつか成り上がることを目指す
 ほとんどはその過程で死ぬ

 近年、ギャングはサイバーウェアの販路を開拓し、闇市場での販売に力を入れている。中には参加の組員にサイバー改造を施し、”ローン“と引き換えに危険な抗争へと投入するものもいるという。こうした少年兵はサイバー改造と戦闘の過酷さのため1年以内に大半が死亡するが、しかし生き残った子どもたちは恐るべき殺人兵器と化すという

・ノーマッド
 過酷な都市での生存競争に疲れた人々の中には、すべてを捨ててノーマッドになるものもいた。都市の外、文明の庇護を受けられない生活もまた厳しいものだが、それでも心身をすり減らす出世競争よりはマシなのだ
 ノーマッドは政府から公認されていない存在であり、企業の人的・資源的リソースを奪う存在であるため、公的機関からは目の敵にされ、追跡されている。そうした環境でものを言うのは戦闘能力、あるいは企業側と話をつけるだけの交渉力だ。軍、警察、企業からのドロップアウト組は、そうした意味でも重宝されている

■《大空白》にて
 そして2038年、《大空白》が生まれてすべてが変わった。老いも若きも、富めるものも貧しきものも、平等に地獄に叩き込まれた
 荒野で重要なのは己が培ってきた技能、己が鍛えてきた力、そして鋼へ置換した肉体だ。地位と名誉が役に立たない解放された世界

 ようこそ、《大空白》へ

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