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名もなき病(やまい) №2

夫とは職場結婚だった。

身近にいい人がいて、それに気づいた。
結婚して幸せになりたいと思った。
単純だけど、そんな理由でも良いんじゃないか。
「もっともっと」と、いい出会いを求めるほど、自分が貴重な人間だとも思えなかった。

その夫になる人は優しかった。
軽く相槌を打ちながら、黙って何時間でも私の話を聞いてくれた。

年上で大人で落ち着いているように見えた。
半面、おしゃれでもないし社交的でもなかったが自分もそうだったから、お互いに自然体で寄り添えるような気がした。


ある時、職場の飲み会があった。
お開きの後タクシー待ちで二人だけになった。
もう付き合っていたので、短い時間でも二人になれるのは嬉しかった。

ふと、宴会で話題に上った同僚の噂話が思い浮かんだ。
「さっき皆が話してた人って誰の事でしたか?」
ところどころぼかして語られた会話だったため、人物の特定は出来ていなかった。
興味があるというよりは、何か話していたくて出た言葉だった。

「…。」
すぐに返事はなかった。
沈黙の意味を探るように隣の顔を見上げてみた。
彼はこちらを見ないまま、少し夜空を見上げるようにして言った。
「先入観になるから…。言わない。」

あまり良い話ではなかったのは確かだ。
簡単に言ってしまえば、ただの悪口。
聞けばその人に対する印象も多少変わるだろう。
悪口なんかは言う人の方が悪いのだと、充分認識していても…。

このことが彼への信頼感を増したのは事実だ。
この人は簡単に人の評価を上げ下げしないし、根拠のない話に乗せられることもないだろう。
そんな風に思えた。


結婚することになんの問題も無いように感じた。
お互いの両親へ報告し、後はよい日を選んで式と披露宴の準備をすればよかった。


「2月頭までに式をしてもいいかな?」
打ち合わせを兼ねたデートで、彼が言いにくそうに言った。

2月?
いつの2月だろう。
今は10月だから、今度の2月だと近すぎる。
しかも2月頭なら、実際は1月中に式をすることになるかも。
再来年の2月の事か…。

確認すると彼はさらに困った顔になった。
「年が明けたらすぐって、やっぱり無理かな?」


式の時期にこだわりはなかった。
むしろ早ければ嬉しいとは思っていたけれど、さすがに準備が間に合わないのではと心配になった。

「何か事情があるんですか?」
「結婚するっていったらさ、親が占ってもらいに行ったんだって。」
「占い?」
「神社に行って、日取りを占ってもらったんだって。」
「…神社。」

まだ平成がはじまって数年。
山や田畑に囲まれた田舎町。
祈祷や占いの話は、まれに耳に入ってきたことはある。
息子の一大イベントに義理の父母も力が入っているのだろう。
それにしても2月とは…。

「節分の前に結婚した方が良いそうなんだ。」
「節分…。」
「過ぎると次の節分以降が良いらしい。日取り的にはね。」
「一年後?」
「そうなるね。」

今度の2月では近すぎるし、次の2月では遠すぎるような気がした。
はやく結婚して、新しい夫婦の巣作りをはじめたい気持ちが募り始めていたが、それにしてもこんな風に日取りの制限があると躊躇してしまう。

「入籍だけでもいいらしいんだけれど…。」
「そう…なんですね。入籍ね。」

当時はまだ、仲人を立てて大きな会場で披露宴をするのが普通と考えられていた時代。
準備にかかる時間は膨大だ。

入籍を先に済ませれば式や披露宴の準備時間は取れるが、なぜ入籍を先にしたのかと周囲はあれこれ勘繰るだろう。
「出来ちゃった婚」という言葉がまだ新しく感じられる頃だった。
この言葉に、周囲の人間は「おめでとう」と言いつつも、半分からかう様な表情を浮かべる人が多かった。
占いの事を話しても、それは建前だろうと胡散臭い顔をされそうだ。

結局、早く新婚生活に入りたかった私は、今度の2月までに式を挙げることに同意した。
彼は安心したようだった。
「良かった。伸ばしたら壊されるんじゃないかと思ったから…。」
「壊す?結婚を?」
「余計なこと言う人とかいるから…。」
「…?」
不思議に思ったけれど、彼はそれ以上その話をしなかった。

気にはなった。
しかし、聞いても答えないことは聞かない方がいいと思い、追及をしなかった。
誰に何を言われるか分からないけれど、結婚を止める理由が自分には無いから大丈夫だ、という自信があった。


未だに誰が何を言って、二人の結婚を壊す可能性があったのかは分からない。
彼にそう思うだけの根拠があったのか、ただの漠然とした不安だったのかも分からない。


でも、あれから二十年以上も時が経って今思う。
いっそあの時、壊れればよかったのに…、と。

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