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完結編・肉と野菜と男と女~nayosobi vol.3~

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https://note.com/kuroi_rie/n/n421baa768ba3

★★★★★★★★

こんな場所に、こんな路地があったのか。
もう名寄に移り住んで3年目になるのに、気づかなかった。

地元のスーパー「西條さん」(名寄の人はこの「西條」というお店に敬称をつける)の東側、南北に延びる通路のような駐輪場に、これまでまったく気づかなかった石畳の道が、東に向かって延びていた。
路地といいつつトンネルのような造りで、高さは二メートル程度、幅は一メートルもない。長さにしたら、一区画分だからおそらく数十メートルだろう。しかし、真っ暗なトンネルの向こう側はぼんやりとした明かりが見えているだけで、なんだか不思議な道だった。
カラッと晴れているのに、その道はなぜか石畳がしっとりと濡れて黒光りし、それが余計に冒険心をくすぐる。

ちょっと、抜けてみようか。

身体を斜めにしながら、その路地に入っていった。

◎◎◎

「さあさあ、みんな集まって!白山庵(はくさんあん)で若旦那の安着祝いだよ!」

抜けた先は、知らない場所だった。
慌てて振り返ると、トンネルではなく、細い路地があるだけだった。
晴れていたはずの空はどんよりとして冷たい雨が降っている。その天気模様とは裏腹に、はじけるような女のかけ声とざわざわとした活気が、道全体にあふれていた。よく見ると道路は整備されていなく、黄土色の土と石で、車が走っている気配もない。

「どうしました?旅の人?道に迷ってるの?」

トングと鉄板をもつ女がニコニコと話しかけてきた。
あれ、なんだ、この顔。見覚えがある。
「いえ、名寄に住んでいるんですが・・・。ここに来るのは初めてで・・・あ、えっと、今日はなにかあるんですか?」
「恒例の白山庵の若旦那の安着祝いですよ。え?初めて聞いた?あらあら、川の向こうからお越しですか?ま、なんでもいいから、寄っていって!今日は無礼講、お相伴にあずかりましょ!」

白山庵というらしい、どうも和菓子屋の、濃紺の暖簾をくぐると広い店土間に酒と料理が所狭しと並べられ、老若男女が行き交い飲み食べをしていた。笑い声がアチコチから響く。
土間の隅にあるカウンターのようなしつらえの棚に、受け取ったビールを置いてぐるっと見回した。

観察しているとなかなかおもしろい。どうも、あのトンネルは時間を遡る装置だったようだ。いつの時代かわからないが、洋服と和服の人が入り交じり、建物のしつらえも時代を感じさせる。
せわしなく、笑顔で客に声をかけて廻る女が女将のようだ。その横で番頭風情の若い男が注文を受け取って、奥からビールを出してきている。ここから斜向かいに見える木箱が積み重なったカウンターには、自分と同じように肘を軽く乗せて一人でグラスを傾ける、カンカン帽に丸眼鏡の男。
一瞬だけ目が合ったが、向こうもこちらも特に気にするわけでもなく、視線は店内に泳いでいった。

番頭らしき男にビールの追加を頼み、しげしげと眺めていると、カンカン帽の男が遠くを見つめて頷いている。ちょっとした、気づくか気づかないかの小さな仕草ながら、丸眼鏡の奥の瞳に力強い意志を感じて視線の先をふと確認すると、そこには女将がいた。
女将の笑顔は変わらなかったが、若干こわばっているように見えた。

男は明らかに白山庵の人間ではない。
道ならぬ恋路か、それともまた別の企みか。

「いらっしゃませ。お初のお目もじ、ですかしら?」
後ろから急に声をかけられて、驚いてビールを持つ手を滑らせ木の棚を濡らす。
「あらあら、ごめんなさい、急にお声かけちゃって」
着物の袂からまっさらな布巾をだしたのは女将だった。
「あ、すみません・・・」
「いいのよ。これからもごひいきに。今日いらっしゃったのもなにかのご縁。白山庵は今日をきっかけにガラっと変わるんですの」
「そうなんですか?なにが変わるんですか?」
「そうねぇ、もう、和菓子屋ではなくなるのかもしれないわ」
女将はテーブルを拭く手元をみながら、つぶやくように、でも力強い声で話した。

そのときだった。店の真ん中で悲鳴が上がった。
女が店のど真ん中で、1メートルはありそうな、長い棒を振り回している。
隣にいた女将が固まったのは一瞬で、そのあとすぐに「あんた、誰だい!?」と女の元へ走っていった。

よく見ると、女は人を傷つけようとしているわけでなく、自分を中心に360°のスペースを作るために棒を振り回しているようだ。

女将が女につかみかかろうとする背中の向こう側からは、カンカン帽の旦那も必死の形相で人混みをかき分けていた。通りで声をかけていたトングの女も、鉄板を頭の上に掲げて真ん中に躍り出る。
そうだそうだ、このトングの女。3年前に名寄に移住をしてくるときに親身に相談に乗ってくれた、市役所の窓口の人と似ているんだ。

映画の一場面を見ているかのように、店の真ん中、女を中心にスポットライトが当たり、そこに、ほぼ同時に、女将、カンカン帽、トングの女がスローモーションで入り込んだ。
全員の目が合い、一瞬ひるんだ隙に、女の肩を抱いてかばった男がいた。

「若旦那!」「風来坊!」

騒然としている店内のあちこちから声があがる。
まあまあ、という風情で両手を上下に動かし、若旦那と呼ばれたドイツ人のような顔立ちの男は、場を鎮めた。

「みなさん、お騒がせ!」
真ん中の2人を取り囲むようにした女将、カンカン帽、トング女は、行き場を失った手と心をそのままに、驚きと緊張とで顔はむしろ無表情になっている。女将とカンカン帽はしっかりと目を合わせながら、声にならない声を交換しあっているようだった。

「今日はみんなに伝えたいことがあって、いつもよりも多めにお酒を用意したんだ。みんな、僕の仕入れたビール、味見してくれたかい?」
シンとした店に声が響き渡り、その緊迫とした雰囲気にのまれ、呼びかけに応える者はいなかった。そんなことはお構いなし、という風情で若旦那は頷き、言葉をつなげた。

「みんなに、ご報告!ぼくは、この白山庵を継がない!ビールの杜氏になろう思う!地の水と大麦でビールをつくって、この名寄に、あたらしい酒の文化を創りたいんだ!」

店内にはさざなみのようなどよめきが起きた。
女将の顔は、怒りのせいか、みるみる紅くなっていった。
気づくと隣にはカンカン帽が立ち、背中に手を置いてさすっていた。

若旦那が続ける。
「ねえ、雅子さん。ぼく、知っているんだ。雅子さんだって、西欧の料理を勉強しているでしょう」

その言葉で、一気に女将・雅子に視線が集まった。
「後妻のくせに」という言葉があちこちから小さく聞こえてくる。
その視線がいたたまれないのか、雅子の目は赤くなり、下唇を噛んだまま若旦那をにらみつけていた。
カンカン帽の反対側に、いつのまにか別の男か立ってた。着流しを夏らしくさらっと着こなしながらも、どっしりとした風格を感じさせるところをみると、どうも、白山庵の旦那のようだ。

「時が、来たようだな」

白山庵の旦那は、カンカン帽とうなずき合い、焼酎を供していた酒屋の夫婦に目配せした。
夫婦はそれを受けて、木箱の上に、見たことのない色鮮やかな料理が盛り付けられた大皿を並べる。
近くにいた女衆から小さな歓声があがり、酒屋の女将は、誇らしげに皿を少し掲げてみせた。

「若旦那、そんな大きなことを、なんの相談もなく言ってはいけないでしょう。こっちはここに来るまでにどれだけの歳月を要したと思っているんだ。女将がどれだけの努力をしたと思っているんだ」
怒りと呆れをはらんだカンカン帽の言葉を、白山庵の旦那が制した。
「いいんだ、教授。時が満ちた、ということなんだよ」
渦中にいながらも状況をつかめていない様子のトングの女は、きょとんとしてそれぞれの顔を見比べている。

白山庵の旦那が、女将の肩をトンと叩いた。
女将の通る声が響いた。
「本日お越しのみなさま、あい、すみません。こんな内輪のもめ事にお付き合いさせてしまって。本当は今日、もう少し後に、旦那からお伝えしたいと思っていたのですが」
全員、固唾を飲んで見守る。
「白山庵は、本日から解散の準備をいたします。今後は名を『モンテビアンコ』と改めて、西欧の料理を中心とした喫茶となります!」

どよめきが起こった。
明治時代から続く老舗が、暖簾を下ろすというのだ。
あちこちから戸惑いと、期待と、怒りや喜びや、さまざまな声が沸き起こっている。

おそらくこの段取りを取り付けてきたのであろうカンカン帽に声をかけられ、不安そうにもうなずく女将。
白山庵の旦那は、ひいきの客から声をかけられているようだった。
木箱の周りでは、真ん中で起きている混乱はそっちのけで女衆が集まって、雅子が創ったという西欧料理を所望する声がかしましい。

ざわつきの中、なんと今度は、トング女が声を張り上げた。

「私からも、みなさんにご報告があります!!!」

「由香、どうした・・・?」
いつのまにか、後ろに立っていた番頭らしき若い男がつぶやいた。
そのつぶやきを聞いた周りの職人たちが、ニヤニヤと肘で彼を小突いている。

胸に手を当て呼吸を整え、由香は遠くまで聞こえるようにと、少し顎をあげた。
「私、この街のために、旅にでます!この街をたくさんの人に知ってもらって、そして人が移り住んでくれるように、これから1年間、旅に出ます!」

「え、えええええ~!!!!!」

今度こそ、店が揺らぐような、大きな、大きな、どよめきが轟いた。

そのとき、真ん中にいた女、つまりこの騒動のきっかけをつくった謎の女が、持っていた棒を高く掲げた。
あまりの突然のことに気づかない人もいる中で、女が棒をススッとなでると、大きな大きな傘が開き、そこから紙吹雪と垂れ幕が落ちてきた。

「祝・ナヨソビ」

・・・・・・
ナヨロっていい響きだねぇ。一人一人の「名」が寄せ集まる。
寄ったら、遊んだほうがいい。
名寄で遊ぶ、名寄を遊ぶ。
一度しかない人生。
この土地に生まれたのは、
この土地にご縁ができたのは、
その運命。
どうせなら、ご縁の土地を舞台に、遊ぶように、やりたいことやって、生きていきましょうよ。
そうだねぇ、「ナヨソビ」なんてどうだい?
・・・・・・

円のど真ん中で若旦那は、この女と初めて会った日の言葉を反芻しながら、頬に張り付いた紙吹雪を指でつまんだ。

若番頭は由香に近づき話しかけている。
「由香、がんばってこいよ。俺も白山庵は今日で卒業なんだ。さっき女将さんにこの話しを聞かされてさ。俺、隣町の湖の近くで、旅籠屋始めようと思ってるんだ。由香が連れてきた旅人が泊まれるように、準備しておくよ」
由香はにっこりとうなずいた。

「さあさあ、今夜は無礼講!来月からは、伊太利亜からきたピッザっていうお好み焼きが、このモンテビアンコでお披露目だよ!」
そう叫んだのは、カンカン帽。女将と旦那と3人で目を合わせ、力強くうなずき合っている。
店の奥から酒屋の旦那が瓶を持って現れ、白山庵の旦那に渡した。さあさあ、と旦那が周りの人たちのグラスに注ぐその液体は、真っ赤な色をしていて、男衆たちは驚きの歓声を上げている。

◎◎◎

夏至真っ盛りのある北の街。
街の人たちから愛されるモンテ通りは、これまでないほどに、道に人があふれて大騒ぎとなっていた。
雨はいつのまにか上がり、赤ワインを飲み過ぎた私はふわふわとした気持ちで、紺青の空に浮かぶまんまるなお月様を仰ぎ見た。

◎◎◎

パー、パパー!!!

車のクラクションの音にハッとして周りを見渡すと、目の前に北洋銀行、振り返ると西條さんの看板があって、見慣れた景色が広がっていた。車の運転手がイラついた表情で、早くよけろと手を左右に動かしていて、慌てて歩道へ移動した。

白山庵の暖簾がかかっていたところには、歩道に椅子とテーブルが並び、人だかりができていた。人々は満面の笑顔でなにかを頬張りながら、ビールを喉に流し込んでいる。その熱気に吸い込まれるように、店の扉を開けた。

「いらっしゃいませ!」
壁には「モンテビアンコ」と書かれたロゴが浮かび上がっていた。







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