『空と山のあいだ 岩木山遭難・大館鳳鳴高校生の五日間』

 東京オリンピックを9か月後に控えた1964年1月、年明けの岩木山に登った5人の高校生の遭難と、彼らの捜索に尽力した人々の記録。
登山がまだレジャーとして普及していなかった頃、子供たちは子供たちなりの覚悟で冬山に立ち向かったもののやはり思慮不足、準備不足であった。
 では何故彼らは顧問に嘘をついてまで冒険したがったのか。著者はまえがきで戦後期から経済成長期に突入した当時の世相と若者のエネルギーの発揚を記す。これは以前読んだ「ディアトロフ峠事件」の真相に迫った『死に山』と同様で、あちらはフルシチョフによる開放路線により国内の移動が解禁された事による若者たちの溌剌とした躍動感の描写にページが割かれていた。
 戦争の記憶が遠景に霞み新しい世代が未来に目を向けられるようになった時代はまた混乱期と統制期の狭間でもあり、そこに冒険と寛容の余地があったと言える。
「山頂へは行かない。雪山のスキー合宿である」と嘘をついた少年たちと、警察を出し抜いて少年たちが使用したテントを撮影し深夜に命懸けで下山してスクープをものにした新聞記者や、ノリで何となく捜索隊に着いて行ってしまった食堂の店主の行動の間には大した違いはない。ただ遭難したかどうかの違いだけであり、それらの危険行為を許容する懐の深さというか、いい加減さがまだ当時にはあった。
 今であれば自己責任論が雨霰と降り注ぐのはまず間違いないが、本書ではそのような自業自得の教科書とは無縁の時代の人々の精神性が息づいているようだ。その良し悪しはともかく。この時代の若者たちはその自主性をある程度大人たちに認められていたのではないかと思う。現在のように無関係の第三者が当事者の責任を過剰に責め立てる行為は自らの見識、判断を糊塗する行為でもあり、それは自主性の放棄という側面もあるのではないか。
 取材に応じた人々は、みな遭難した子供たちを責めはしない。そこに至る前に、各人が現状自分に出来る行動を積極的に行っている印象が強い。
 だが、雪山遭難救助のセオリーが定着していなかった当時にあってもなお、登山者の意見を退けてまで悪戯に捜索を長引かせた弘前署の判断ミスは痛い。所轄の縄張り意識を指摘されても致し方ないだろう。
 ショッキングな遭難事故を通して「そのような時代」をも描き出した好著。
 

 
 

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