寿司ロマンの果て

 大手回転寿司チェーン店において迷惑行為を働き動画を投稿した客が逮捕された事件。
 そういえば寿司の大規模チェーン店って自発的に食いに行くことが無い。ウーバーイーツ配達でピックアップしに行く事しか接点が無い。
 寿司をわざわざぎゃあぎゃあ煩い環境で食わなければいけない理由を咀嚼できない。これは高い個人店、安いチェーン店といった問題ではなく、安物ならスーパーの見切り品を自宅で食うし、それならしょっちゅうやっている。
 そういやそもそも寿司屋で寿司を食う事が無い事に気づく。

 寿司チェーン店に対する嫌がらせ行為を実行する立場に思いを致すと、まず「ウケる」と判断する企画段階の選択肢として思い浮かばない。そのような文化的背景を自分は持ち合わせていないのだ。
「外で食う寿司はせめて寿司屋で食うものであり、ファミレスで食うものではない」
 寿司屋で寿司を食える金など持てた試しもないのに、無駄に保持している古式ゆかしい拘りが、今回示された露悪的ないたずらに対する対応への評価を妨げている。判断の基準を激しく揺さぶる。

 この寿司という、たかが料理が纏う理屈を超えた無慈悲で容赦ない社会的イメージはどうだ。例えどんな美辞麗句で取り繕おうがここは弱肉強食の階級社会に過ぎぬ現実を如実に象徴する指標としての寿司。
 ファミレスに換装出来るような不浄の場で事もあろうに寿司を食う。そもそもが論外の化外の蛮地において、醤油差しにしゃぶりつく様を面白がるような家畜に等しい悪臭を放つ民草が2、3お縄になったとて、私の心が動くことなどあろうはずがない。例え陽が西から登ろうと。ぶふー。(鼻息)

 そのステータスには1ミリも掠らないような外野どころか野球場を車窓から眺めているレベルの赤の他人をここまでのレイシストに変容せしめる寿司の魔力よ。
 これら諸々の斥力を雑に纏め、ここに「寿司ロマン」と定めたい。
 そうさ私はロマンの虜。だから以上の暴言も許されるのさ。ウララララ〜♪

 …とまあ、こんな感じで実行者が逮捕されたと聞いても全く情緒は動かず、彼らを告発した企業の姿勢もぼんやりと、遠く理解の及ばぬ社会の習俗に活字を通して接する距離感で考察している自分を面白がっている。
 その考察には、
・テレビでかつて「ドッキリ」として成立させていた娯楽の背徳的な悪質さ
・防犯目的の監視カメラを広報的にも活用するにはそこに映った迷惑行為を「犯罪」にすれば良いのではないか
 といった雑念も含まれる。
 しかしこの辺は深く考えると怖くなってきそうだし、あまり面白くなさそうなので眠れぬ夜には荷が重い。

 そうだ、もういいかげん眠るのだ私よ。
 夢の中で食べる寿司はきっと美味しい。

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