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思えば恥の多い生涯を過ごしてきたもんだ

あれよあれよという間に猛暑は過ぎ去り、心地よい秋風が吹き出したと思い夜間に窓を開け広げた結果凍えながら睡眠に至る。そんな季節になってしまった。
そんな中私の24歳最後の夏が終わりを告げた。

特に何か大きな出来事が起きたというわけでもない。
これまでに何かを始め、何かを終わらせたなどという大層立派な事柄を成し遂げたこともない。何の変哲もなさすぎるほどに虚無の夏が今年も無事終了したのだ。

思えば私の身の周りも随分と変化してきたわけだ。
兄は娘が出来、父は小屋を作り、祖父は死にかけ、友は家庭を持った。
海外にその活躍の場を広げた者もいる。

私は?

何もかもが自業自得なのに責任の所在を求め自分で自分を殴りつける。
そんはスパルタ行為に見を窶し、24年。
特に精神的に強くなった実感は無い。身体的強化など以ての外だ。

最近四畳半神話大系を見直した。作業中横目で眺めてた程度だが、今は戻れない輝かしき鈍色の日々を偲んでいた。

「好機は何時でもあなたの目の前にぶら下がって御座います。」

果たして本当に?きっと疑いの余地なく老婆の言う通りなのではあろうが、私はその好機を目の前にしながら勝ち取る手段を尽く間違えてきたらしい。
あるときは進路を間違え、またある時は座して待ち過ぎたりもした。
もう疲れたよ。と愛犬に身を任せたりもしてみたいが生憎ペットを買ったことも無いのでそれも出来なさそうだ。

私はこれからも間違え続ける。これまでがそうなんだ、これからもきっとそうさ。
それでも命ある限りはそれなりに手段を講じなければならない。
負けるわけにはいかんのだ。自分との闘いで過去の自分を打ち倒すまでは。

未来と過去の私はどちらが先に音を上げるだろうか。
願わしくば過去の自分を滅多打ちにしていただきたい。

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