物語の合奏 マルホランド・ドライブについて
デヴィッド・リンチ監督の「マルホランド・ドライブ 4Kレストア版」が劇場公開されている。
わたしはこの映画をDVDでは見たことがあるのだが、この機会に劇場で改めて観た。
ハリウッドの夜景や物語のキーとなる劇場でレベッカ・デル・リオが歌うシーンは当たり前だが、小さな画面で見るのとは段違いの迫力と美しさだ。
「マルホランド・ドライブ」はジャンルとしては、謎解きを目的としたミステリー映画であるが、そのジャンルからは逸脱する。
この逸脱具合が「マルホランド・ドライブ」を唯一無二の映画にしている。
では普通の映画と、どこが違うのだろうか。
あらすじはこうだ。
冒頭、「マルホランド・ドライブ」と呼ばれる車道で事故が起こる。車から這い出したリタ(ローラ・ハリング)は、カナダからオーディションを受けるためにやってきたベティ(ナオミ・ワッツ)が滞在する部屋に潜り込む。リタは記憶を失っており、ベティはリタの身元探しを買ってでる。
「マルホランド・ドライブ」はしばしば難解だといわれているが、物語の枠組み自体は複雑なものではない。
実は、ベティは別の名前を持つ売れない役者であり、前半の「リタの身元探し」のパートは、ベティが死ぬ前に見た夢なのだ。そして、後半の30分くらいがベティはこの夢をなぜ見たのかということが説明される解決編になる。
映画を複雑にしているのは、この「リタの身元探し」の本筋とは関係がない別のストーリーや短いエピソードが挟まれていて、それが観客を混乱させているからだ。
例えば、若手映画監督が彼のマネージャーや映画会社の社員とともに、映画会社の一室でスポンサーの面談をするシーンがある。その場にやってきたスポンサーはある若手女優を使うことを監督に命じ、映画会社の社員にエスプレッソを注文する。スポンサーはコーヒーを一口啜ると「まずい」。彼はいきなりナプキンにコーヒーを吐き出し、怒りを爆発させる。スポンサーの命令に納得できない監督はスポンサーの車を壊し、家に帰ると妻が不倫している場面に遭遇し、家から叩きだされ、事務所に電話するとアシスタントからは破産を通告される。
この展開はあまりにも理不尽すぎて笑ってしまう。「リタの身元探し」がシリアスな話だから、この話が余計に可笑しい。
「リタの身元探し」という物語の上に、「映画監督の災難」という別の物語が乗っかる。そのほかにも、ダイナーの裏手に黒い浮浪者が現れる物語や失敗続きの完全犯罪の物語など、いくつもの意味不明な細かいエピソードが本筋の物語に乗っかる。その本筋から離れるストーリーもベティの脳内の世界で起こっていて、厳密に言えば本筋とは無関係とも言い切れない。だから、無関係な物語の層がだんだん互いに浸透していき、映画が進むにつれて不思議な味わいになってくる。
複数の楽器が合わさって合奏されるように、複数の物語が合わさって生まれる響き。これが「マルホランド・ドライブ」の魅力だと思う。
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