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想像と妄想は創造の最高級調味料になる!

先日の記事で告知して、残念ながら中止になってしまった城ヶ島での着ぐるみイベントだが、今日から始まった水仙まつりにおいて、オープニングアクト的にこちらでも着ぐるみが出るという情報を掴み、筆者は約一年ぶりに城ヶ島へ急遽向かうことにした。

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城ヶ島、というか三崎といえばマグロであるので、着ぐるみの前につい食べてしまったのだが。

店から出てあてもなく歩き始める。
何せ、急に向かうことを決めたので着ぐるみのスケジュールなど知らない。
もしかしたら会えないのかも、と思ってた矢先、いきなり遭遇。

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かわいいかわいいキツネとイヌの着ぐるみだ。

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他、イベント中心地に向かってみると何体かの着ぐるみと遭遇。
行き当たりばったりで出た割には運がいい。
ちなみに、この左側に映る黒と白のお犬さんはクルタといって、着ぐるみYouTuberでもある。
宜しければチェックしていただきたい。


しかし、残念ながら雨も降りそうなため着ぐるみが出てきたのはわずかな時間だった。写真も殆ど撮れず。
筆者は彼らと別れて島内を散策することに。
せっかく来たのだから、水仙をみたい。

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着ぐるみがいた島の西側はそうでもなかったが、東側まで来るとかなり水仙が咲いていた。まだ完全に開花してる様子ではなさそうだが、それでも綺麗なものである。



他、島内をぶらついていると、奇妙な光景に迷い込んだ……。

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写真を見て、読者の方々は何か感じ取れただろうか?
もし感じ取れたならば、筆者と同じ感性を持っていて共感できる人間だ。
嬉しい限りである。
感じ取れなければ、こう見てほしい。
この草むらや岩場、海しか写っていない写真の先に『何か』が待ち受けていると。
何かは皆それぞれで想像してほしい。

殺人鬼? 幽霊? 時計を持ったウサギ?

その想像する行為が、筆者が今回触れたいことだ。

休日であり観光地であるから人はそれなりに歩いているから寂しくは感じなかったのだが、不意に周囲に人がいなくなった時、なんだかおかしな世界に迷い込んだ気分になるような光景がそこにあった。
海岸まで降り立つと、
「ここは、地球じゃないか!」
と叫びたくなるような風景があった。

この、先に何かあるか分からない、不確かな空間というのは、筆者は妙に興奮する。
現実的に考えれば、当然進んでも異空間に繋がってるはずもなく、あの世に迷い込むこともない。
だが、その先の角、草や木々が生い茂り先が見えない角を進めば、この世ならざる何かが待ち受けているのではないか? つい、そんな想像にとりつかれてしまうのである。別の惑星、もしくは、歪な化け物、見たこともない装置……。

それは、恐怖とはまた違う感覚だ。ポジティブな好奇心と期待、ネガティブな恐怖が織り混ざった複雑な感情である。
しかし、なかなか日常で味わない稀な感覚なだけに、非常に心地よく脳内を刺激するのである。

さあ、曲がってみろ! そして、目撃するがいい!

脳内が掻き立ててくる。
筆者は、グッと恐怖を押し殺して角を曲がる。
そこにはもちろん何もないし、タイミングがあえば陽気な外国人とすれ違う現実がある。
だが、それでいい。
その刺激が心地いいからだ。

昔、MYSTという洋ゲーがあった。
ヒントが乏しい中、島を探索して様々な仕掛けを試行錯誤しながら解き明かし、謎を解明していくアドベンチャーだ。

島内はほぼ人影はなく、ヒントも少ないのでどこで何をしていいのかも分からずゲームの中で孤独感を感じられる。本当に不思議なゲームだった。

筆者はそのゲームが大好きであったが、その理由こそまさに、島内を疑似的に探索することで、脳内を刺激していくからだ。
この道を進むとどこに出るのだろう?
この謎のオブジェやマークは何を意味するのだろう、と、あらゆるところで頭の中を掻き回され心地いい刺激を受け取っていた。
その感覚が、まさに城ヶ島で見られた光景にはあるのだ。

人の創作物に触れた時、妙に惹かれる時がある。
読者の方々ももちろんあるでしょうが、そこには人それぞれの感覚があるでしょう。
筆者の場合、まさにこの先が見えないだけに想像力が働いてしまうところにある。

田中豪氏というイラストレーターをご存知だろうか。
筆者のお気に入り作家の1人である。
作品を見ていただければ分かるように、雰囲気は大変暗くグロテスクだ。ホラーじみた空気が溢れていて、実際にホラー小説の表紙を描いてもいた。
そんな作品をなぜに気に入れるのか?

よく見て欲しい。
ホラーじみているし、全体の色は赤黒いが、決して血が滴っているわけでもないし人が襲われてるわけでもない。
誰も被害にはあっていない。
しかし、じっと遠く暗闇の奥からこちらを伺っているような不気味さがそこにはある。何もしないが、何かはしそうな空気は確かにそこにある。
もしくは、その暗闇の奥へと足を踏み出せば、何か良からぬことが起きるのかもしれないという予感。

全ては想像に過ぎない。絵の中では何も起きてはいない。
しかし、眺めていると、頭の中で自動的にその先の展開がゆっくりと流れ出し、恐怖心を身体中に走らせるのだ。
それが刺激となり、筆者はもう田中氏の絵の虜になっている。

そう、想像する・させるという行為が、創作物を楽しむためには必要なのである。
いくらうまくても、絵の中に物語性が展開していなければ魅力は半減する。
その作品を見て、頭の中で想像・妄想が働いてしまうような作品ほど、筆者にとっては良作だ。

読者の皆さんも、日常的な光景の陰に潜む非日常、絵などをはじめとした創作物の中で展開している有り得ない物語を感じ取ってみてはいかがだろう?
地方の観光地など、まさに想像力を掻き立てる光景が詰まった場所だ。
旅先でじっくりと風景を観察しながら頭を巡らしてほしい。
いや、普段通っている駅までの道も、もしかしたら何か不思議が詰まっているのかも。何かを感じ取るのは、あなたの想像力次第。

きっと、日常が刺激的になるに違いない。

支援いただけるとより幅広いイベントなどを見聞できます、何卒、宜しくお願い致します。