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「隅田公園少年野球場」(日本最初の少年野球場)

王選手を産んだ公園に一本足のレリーフ

★ジャンル【スポーツ】 
★場所 墨田区向島5-6-13
★最寄駅 東武線曳舟駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「この少年野球場は、昭和24年戦後の荒廃した時代に「少年に明日への希望」をスローガンとして、有志や子ども達の荒地整備による汗の結晶として誕生した日本で最初の少年野球場です。以来数多くの少年球児がこの球場から巣立っていったが、中でも日本が誇る世界のホームラン王巨人軍王貞治氏もこの球場から育った一人です」

★解説
 隅田川沿いに走る首都高の向島料金所側には、名物の言問団子と長命寺桜もちが道路を挟んで向かい合っていますが、その言問団子の脇に入り口があります。
 この少年野球場がどういう経緯でできあがったのか、詳細は調べられておりません。「荒地整備による汗の結晶」とありますので、地域の人たちが手弁当で整備して作ったのでしょうか。1949年ですから、まだまだ物資や食料が不足していた時代ですね。そんな頃に子供のための野球場を作ったのですから、それは大変だったでしょう。
 戦前には多くの建物があった隅田川べりの一角で、戦後は空襲のせいでしょうかほぼ更地になり、隣に東大や一橋大のボート部の艇庫がありました。その頃は川に向かって広々としていたのでしょうね。
 今は首都高が邪魔してかなり狭い球場になっています。考えてみると「少年」と限った野球場はさほど目にしません。ルールに厳密に従うと、リトルリーグなどの少年野球は、普通の野球場よりも少し狭いグラウンドで行うことになっており、大きさが違うのです。
 この球場で、まだ首都高ができる前、隅田川にチャポン、チャポンとホームランを打ち込んでいたのが王貞治(おう さだはる)さんだそうです。隅田公園少年野球場の入り口ゲートには、柱に投手とバッターのレリーフがあ

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