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「練馬区独立記念碑 練馬区役所発祥の地」

唯一、分割で誕生した練馬区

★ジャンル【社会】
★場所 練馬区桜台2-18-1
★最寄駅 東京メトロ有楽町線新桜台駅

★碑文
「練馬区は昭和二十二年八月一日板橋区より分離独立しこの地に練馬区役所を設けた 昭和二十二年十月議員三十六名による第一回の練馬区議会がこの地において開催された ここに練馬区独立三十周年を記念しこの碑を建立する」

★解説
 新桜台駅の1番出口で出て、環七通りと交差する正久保通りを北に向かいます。やや坂を登る感じで右にカーブしていくと左に練馬区立開進第三小学校があり、その北東隅に建っています。
 こんな碑は練馬区だけですね。それももっともなことで、東京23区の他の区は、すべて戦前からの区や周囲の町村が合併して誕生したのに対し、練馬区は唯一他の区から分離してできた区だからです。
 東京市は明治11年に江戸の街を引き継いだ領域を15区に分けてスタートし、1932年に周辺の町村を合併して35区に拡大します(大東京市)。しかし戦時中の空襲で特に都心区は大被害を受けて人口が激減し、単独の区としての存続が難しくなります。そこでGHQが区の合併を命令し、1947年5月に22区になります。合併の際は公平を記すために、合併前の区名は一つも引き継がれませんでした。
 唯一郊外にあって戦災の被害が少ない上に広大だった板橋区は分割されることになり、他の区の統合から少し遅れて8月に分割が実施されます。分割前の板橋区は80平方キロもあり、1区で23区の1割以上ありました。現在の練馬区地域の住民は区役所などに行くのに大変不便だったそうです。
 人口は29万人弱で23区中第3位でしたが増加が見込まれていました。現在の両区の人口は合わせると133万にもなっています。
 新区役所はすでに板橋区役所の支所として間借りしていた開進第三小の建物に置かれました。その後1949年に現在地に移転します。

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