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「地名『大塚』発祥の地」(帝国女子専門学校=相模女子大創立地)

「大塚」の元祖は文京区

★ジャンル【地名】【学校】 
★場所 文京区大塚1-3-8
★最寄駅 東京メトロ茗荷谷駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「日本高等女学校明治三十三年創立 帝国女子専門学校明治四十三年創立 静修女学校大正四年創立 以上三校の旧校地ここ大塚七十番地の校庭の一隅に樹木に囲まれた稲荷の小祠があった。元来これは先史時代の古墳で昔から大塚といわれて居り 馬琴の八犬伝に見え 大塚の里は即ちこの附近一帯の土地であって この古墳に因んだ名称である。小祠は学校と共に昭和二十年の戦災によって焼失しその焼跡は三井銀行の所有となって二十五年の歳月が流れた。卒業生有志は由緒あるこの古墳の湮滅を憂い 三井銀行に懇請して 幸に承諾と後援とを得 石碑を建立て永く後世に伝える」

★解説
 茗荷谷駅を出て、南側の跡見学園拓殖大学方面に向かうとあまり人気のない「SMBC茗荷谷ビル」があり、その敷地内にあります。
 まず地名の「大塚」から説明しましょう。東京で「大塚」というと、たいていの方は山手線の「大塚駅」周辺を思い浮かべられると思います。地名も駅を挟んで豊島区北大塚、南大塚があります。しかしそのさらに南側、文京区にも「大塚」という町名が茗荷谷駅からお茶の水女子大や護国寺までも含んだ広大なエリアに広がっているのです。ですから豊島区「南大塚」の南に文京区「大塚」があるという奇妙なことになっています。
 明治末に大塚駅が開業した頃の所在地は巣鴨村でしたが、すでに隣の駅が「巣鴨」だったため、街道でつながる東京市内の最寄り地名の「大塚」を駅名にしてしまいました。その後、駅周辺が賑わうにつれてあたりを指すのに「大塚」が使われるようになり、ついに1969年、駅南北の地名にも大塚が使われるようになりました。
 ですから本来の「大塚」は文京区側なのです。この「大塚」という地名は全国各地にあり、ほぼ古墳の所在がその由来となっています。ここでも江戸時代から「古墳」ではないかと言われていた塚があり、脇には「大塚稲荷」という社がありました。
 塚の場所は「森川鉾太郎」という旗本の屋敷と記録されており、現在地で言うとこの碑の場所からやや南東の貞静学園敷地のあたりのようにも思えま

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